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2007年4月

2007-04-26

最低投票率/最低得票率の正当性を理論づけようとする、伊藤真の主張を検証する その1

※ 最近は仕事が追い込みの時期に入っており、更新がいつも以上に飛び飛びになることをご容赦頂きたい。

 

 この人は司法試験対策ではかなり(というか一番)有名なのだが、ネットで調べると、護憲運動にもかなりパワーを注いでいるようだ。

 

伊藤真のけんぽう手習い塾

間接民主制における、 最高裁判所の国民審査と地方特別法の住民投票の意味

(長いので、残念ながら全文は引用できない)

(前略)

 今回は、国民投票の過半数の賛成の意味について考えてみます。自民党も民主党も、この点、 投票総数の過半数で承認があったものとしています。そして、最低投票率の規制はまったく考えていないようです。 こうした国民投票手続法は、以下の理由から、国民主権にかなったものとはいえません。

 そもそも、通常は間接民主制をとっている憲法がなぜ、この憲法改正のところでは直接民主制をとったのでしょうか。 憲法は国政レベルでは3カ所、直接民主制を採用しています。この憲法改正(96条) と最高裁判所の国民審査(79条2項)、そして95条の地方特別法の住民投票です。

 憲法改正以外の2つに共通している点があります。それは、 間接民主制がうまく機能しないときの安全弁として直接民主制を採用しているという点です。

(中略)

 国民は代表者を信頼して、こうした審議討論を経た国政運営を国会議員に委任しているわけです。 国会議員は自らの政治的信念にしたがって全国民のために行動し、その行動の結果は選挙によって国民から評価されることになります。 つまり、国政選挙は新たに国会議員を選ぶ場でもありますが、同時に、 これまでの国会議員の行動を国民が審判し評価を下す場でもあるのです。

 しかし、選挙という場における国民のチェックは、国会議員の行動の一つ一つについて個別に判断することを予定していません。 あくまでも、国民は自分たちが委任して任せるのに相応しい人物かどうかを判定することができるだけです。

 そこで、とくに重要な国会議員の行動については、国民が直接、具体的に審査しチェックすることができる場を憲法は用意しました。 それが最高裁判所の国民審査と地方特別法の住民投票なのです。

 つまり、国会議員の行動に対して、 国民がノーを突きつけることができるという点に、 この2つの直接民主制的制度は意味を持っているということです。

 最高裁判所裁判官の国民審査は、国会議員が選んだ首相によって組織された内閣が任命した最高裁裁判官が、 本当に国民にとってふさわしい人物かどうかを国民が直接、最終判断できるというものです。つまり、 国会議員や内閣の最高裁判所裁判官の人事に関する判断に対して、国民がノーを突きつけることができるのです。

 同様に95条の地方特別法の住民投票も、国会議員が特定の地域にとって不利益となるような法律を作ろうとしたときに、 その地域住民が住民投票でノーをつきつけて拒否できるというものです(ちなみに自民党の新憲法草案ではこの規定は削除されています)。

 これらの直接民主制の制度は、代表民主制のもとでの国会議員の行動に対して、 それが国民の考えと違う行動であるときに、主権者たる国民が、直接、 ノーをつきつけて主権者としての意思を明確にすることを認めたものなのです。

 ですから、たとえば、 最高裁判所裁判官の国民審査は一種のリコール制だといわれますが、積極的にノーの声がどれだけあるか、 つまり罷免するべきだという有権者の数が投票者の多数になっているかどうかが問題なのです。 積極的に罷免するべきだという意思を表明していない人(棄権した人など)は、まあ、 政府の人選でいいだろうという消極的賛成と評価してもかまわないということです。 地方特別法の住民投票も同様の性質といってよいでしょう。

 こうしてこれらの直接民主制は国会の行為に対する、国民からの歯止めであり、 積極的なノーの数が問題となるのです。

 

 ここまでで伊藤氏は、間接民主制における、例外としての直接民主制度として、憲法で規定されている3つの制度を並列に並べ、 論じてようとしている。改憲の国民投票法(96条)と、最高裁判所裁判官の国民審査(79条2項)と、住民投票制度(95条)である。 そして、

これらの制度は、「国会の行為に対する国民からの歯止めであり、積極的なノーの数が問題になる」

という点で共通であると述べている。ちなみに彼は、司法試験にパスした人間でありながら、重要な点をあえて無視している。 79条2項に規定されている最高裁判所裁判官の国民審査でも、95条に規定されている住民投票制度でも、 有権者の過半数がノーと言えば否決、などという記述はどこにもない、という点だ。

日本国憲法 第79条 第2項 最高裁判所の裁判官の任命は、 その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、 その後10年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。

第3項 前項の場合において、 投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。

日本国憲法 第95条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、 法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、 これを制定することができない。

 特に、第79条第3項においては、「投票者の多数が」と、わざわざ書いてあることに注意すべきだろう。

「積極的なノーの数が問題になる」というまとめ方は、憲法に明文化されている文言さえ、 平気で無視しているという意味で、極めて悪意の強いまとめ方であると言わざるを得ない。 「彼は司法試験業界で有名な人だから、彼の発言に賛成しておけば間違いない」などと、ここでもオーソリティ(権威) に頼るクセのある「護憲派」は、くれぐれも注意すべきであろう。

 

 そして彼はこのように続ける。

 

改憲のための国民投票で求められる 「過半数」とは?

 では、憲法改正の国民投票はどうでしょうか。これらと同じように、 積極的に反対という票がどれだけあるかが問題となるだけでしょうか。もし、この国民投票の意味を、 国会議員が国民の代表者として改憲の発議をしたときに、この発議に対して、 国民が自分たちの意思を正しく反映していないと考えてそれを拒否できるとしたものにすぎないと考えると、最高裁判所裁判官の国民審査と同様に、積極的な反対の声がどれほどあるかだけが重要ということになります。

 つまり、投票率20%、その過半数の賛成つまり有権者の10%強の賛成であっても、積極的な反対は有権者の10% 弱しかなかったということになりますから、国会の発議どおりの改憲をしてもかまわないということになります。

 ですが、これは最高裁判所裁判官の国民審査と、 主権の究極的な行使である憲法改正国民投票を安易に同視するもので正しくありません。どちらも同じ直接民主制の制度であることから、 安易に同列に考えてはならないのです。

 先ほどのような考え方、つまり、間接民主制のもとでの改憲発議に対して、主権者たる国民が、 それは自分たちの考えとは違うといって、ノーを突きつけることができるという点に、国民投票の意味があるにすぎないという考えは、 改憲の主導権があたかも国会にあるかのごとく考えている点で間違っています。

 憲法改正はあくまでも国民の主権行使であり、 国民の権限です。国会は便宜上、発議権を与えられているにすぎません。 本来なら、国民が改憲を発案し、 それを国民投票で決するのが筋ですが、便宜上、 国民代表者である国会に発議権を与えたというだけです。あくまでも憲法改正の主体は国民、 この場合は有権者です。

…あらら?最高裁判所裁判官の国民審査や、住民投票は「国民の主権行使」ではないとでも言いたいのであろうか。

 

 ですから、ここで要求される国民の意思も、積極的に改憲に賛成の国民がどれほどいるかが問題となるのです。 改憲に反対の国民がどれほどいるかが問題なのではありません。硬性憲法という性質上、 あくまでも改憲は例外です。例外として改憲が必要と考える主権者が有権者の中にどれほどいるかが問題なのです。

 なるほど、彼はこれを言いたかったのだろう。日本国憲法が硬性憲法(変えにくい憲法)であるということは、 早い人は中学レベルでも学ぶだろうから、この「論理」で納得した人が多いかも知れないが、「硬性憲法」が「硬性憲法」たるゆえんは、 まさに憲法96条の規定の通り、

「憲法改正を発議するときは各議院の総議員の3分の2以上の賛成が必要」ということであり、

「特別の国民投票または国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」点である。

つまり、これより「上位」の権威者がさらにいて、 「日本国憲法は変えてはいけない憲法なのだ」と促しているわけではないのである。

日本国憲法 第96条 この憲法の改正は、 各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、 特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 

したがって、

「日本国憲法は硬性憲法

だから

憲法を変えにくい制度を、今の日本国憲法「以上」に厳しく設定しなければならない。」

という論は、論理的には間違っている。改憲に関しては、憲法96条の範囲内の手続き法であれば、何ら「硬性憲法」である「日本国憲法」 を否定しているわけではないのだ。

 

むろん、その一方で、

「私は、日本国憲法を、今以上の硬性憲法にしたい

だから

憲法を変えにくい精度を、今の日本国憲法「以上」 に厳しく設定したい。」

という「感情」あるいは「主張(『べき論』などと呼ばれる)」であれば、 何もおかしくない。

 

 偉そうな言い方になるが、読者諸君は、この、 上と下の微妙な違いに気づけるようになってほしい。この違いがわかれば、上記の、

>硬性憲法という性質上、 あくまでも改憲は例外です。例外として改憲が必要と考える主権者が有権者の中にどれほどいるかが問題なのです。

という部分は、日本国憲法から「論理的に必然的に」導けるものでは決してなく、 伊藤真という一個人の「感情」あるいは「こうすべきだ」という「主張」に過ぎないのだ。

「事実としてこうだ」という言い方と、「私はこうしたい」 という言い方を巧みに混ぜることで、彼は、

「硬性憲法という性質上、 あくまでも改憲は例外です。例外として改憲が必要と考える主権者が有権者の中にどれほどいるかが問題」

ということを、あたかも「憲法の条文から論理的に導ける」 と言いたがっているようである。

 そして彼は、してやったりと、以下のように続ける。

 

 憲法制定権者である有権者がどれくらい、積極的に改憲に賛成かが問題なのですから、 国民投票の過半数というのは、 有権者の過半数であることが論理必然です。 けっして投票総数の過半数ですまさせるべきものではありません。 通常の法律制定の際の過半数とはまったく意味が違うのです。また、少なくとも最低投票率を規定しなければ、 有権者が積極的に賛成したという判断をすることができなくなります。

なぜ私が上記の部分に執着したか、これでおわかりだろう。彼は、

>憲法制定権者である有権者がどれくらい、積極的に改憲に賛成かが問題

という、彼自身が「こうあってほしい」という「願望」

を、

あたかも「憲法の条文から論理的に導ける」「事実」

のように見せかけることで、

>国民投票の過半数というのは、有権者の過半数であることが論理必然です。 けっして投票総数の過半数ですまさせるべきものではありません。

「論理必然」キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!  と言うべきか。この言葉で、多くの「自称護憲派」は、 コロッとだまされてしまう。

そうか!改憲における国民投票の「過半数」とは、有権者の過半数であることが憲法的に「論理必然」なのだ、と。

ちゃいまんがな。「論理必然」なのは、伊藤真という一個人の「こうすべきだ」という「べき論」から見て、 「改憲における国民投票の過半数とは有権者の過半数である」が「論理必然」、すなわち、「論理的に必然的に導ける」 ということに過ぎないのだ。

 

 繰り返し、偉そうな言い方になるが、読者諸君は、この2点を、しっかり区別できるようになっていただきたい。

 この論は、従来私が主張してきた、「投票棄権を『改憲反対』にカウントするっておかしいだろ?」 という主張に対する有力な反論であるために、上記のような論に準拠して「国民投票に最低投票率/最低得票率を設定せよ!」と主張する連中が、 これから増えていくと思われる。

 しかし、残念ながら、この論は、 伊藤真の個人的な願望から導き出した主張に過ぎないわけで、こういう主張が、最低投票率/最低得票率設定の正当性を、 憲法的に理論づけるわけではないのだ。

 

 今日はここまでにしておく。彼の文章にはさらにもう一段落あるので、今後さらに検証して記事をアップする。

 

当ブログ関連記事 

甘ったれるのもいい加減にしたら?<最低得票率、最低投票率

朝日新聞を使って、一緒に憲法と民主主義について勉強しよう! <国民投票法案

 

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2007-04-23

自称「平和主義者」ほど、平気で「投票妨害」できるのはなぜ??<高知・東洋町長選

 前町長が、核廃棄物の最終処理場の候補地に、議会などには無断で立候補した高知県東洋町の話である。あらかじめ断っておくが、 核廃棄物の最終処理場を、どこかに決めなければならないということから生じるさまざまなジレンマについては、察することが余りある。 私も高知にはさまざまな思い入れがあるので、他人事としてこの記事を書いているつもりはない。

 

年10億円より「安心」 選ぶ…高知・東洋町長選(読売 07.04.23)

 年間10億円の交付金よりも、住民は安心を選んだ――。 高レベル放射性廃棄物最終処分場の立地調査応募の是非が問われた高知県東洋町の出直し町長選。 1821対761という大差で推進派の前町長の田島裕起さん(64)を破り、初当選した反対派の前室戸市議の新人、沢山保太郎さん (63)は応募撤回の方針を示し、支援者らは「山や川を今のままの姿で子や孫に受け継がせることができる」と歓声をあげた。 立地調査応募に反対する県や周辺自治体からも歓迎と安堵(あんど)の声が。人口約3400人の小さな町の選択は、 国の原子力政策に大きな影響を与えそうだ。

 沢山さんは同町野根の事務所で、約50人の支持者らと開票結果を待った。午後9時5分、当選確実が伝えられると、 立ち上がって手を振り、大きな歓声と拍手にこたえた。

 沢山さんは「核廃棄物から古里を守るという町民の思いが結実した。早速、文献調査への応募撤回と、 調査の中止を国などに申し入れる」とあいさつ、「町民の大多数が立地調査に反対の意思を示した」などとする申し入れ書案を示した。

 逼迫(ひっぱく)する財政問題については、「節約できるところは節約し、町民の知恵と力を得て抜本的な解決策を講じたい」 と述べた。

 選挙戦では、主婦層を中心とした後援会が町内を87地区に分け、処分場建設反対の署名を集めるなどして支持を広げた。 ボランティアで選挙運動を支援した農業田中桂子さん(59)は「地縁・血縁などのしがらみから脱却し、 自然というこの町一番の伝統を守り抜いた」と笑みを見せた。

 一方、周辺市町村を含め年間最大10億円の交付金を活用した町づくりを訴えた田島さんは同町甲浦の事務所で、 「文献調査の応募が必ずしも最終処分場を誘致するということではないことを訴えたが、町民の方々には届かなかった」と述べた。しかし、 今回の選挙について、「エネルギー政策の是非に対する考えが国民の中に広がったのでないか。 原子力に関する議論を深めるきっかけになれば」と話した。

 町を二分した激烈な選挙戦は、町内に気まずい空気を生み、しこりを心配する声も。 推進派の50歳代の女性は「反対派の人が5人ほど訪ねてきて、反対署名を迫られた。近所の人もいた。署名したが、とても苦しかった」 と胸の内を明かす。

 選挙結果を受け、橋本大二郎知事は県庁で記者会見。「票差が開いたということは、高レベル放射性廃棄物処分場の誘致に、 強い反対があることの証し。国などは、札束でほっぺたをはたくような原子力政策を見直し、もっと民主的、 透明なルール作りを考えればどうか」と述べた。

 隣接する徳島県の飯泉嘉門知事も「(調査を実施する)原子力発電環境整備機構と経済産業省は今回の選挙結果を重く受け止めて、 高レベル放射性廃棄物最終処分施設の文献調査の手続きを白紙に戻していただきたい」とした。

 これに対し、原環機構の山路亨理事長は「田島さんが落選されたと聞き、残念に思う。国などとともに、 なお一層の努力を払っていく」とするコメントを出した。

 

 たまたまとくダネ!でも東洋町のレポートを見ていたが、東洋町では、調査反対派が「核反対!」というスローガンをかかげ、「核反対」 派は黄色のジャンパーを着て選挙運動をし、「核反対」の家の玄関には、「核反対」のステッカーを貼ったとのこと。そんな「選挙運動」が、 高知の田舎町で繰り広げられていた。

>推進派の50歳代の女性は「反対派の人が5人ほど訪ねてきて、反対署名を迫られた。 近所の人もいた。署名したが、とても苦しかった」と胸の内を明かす。

 民主主義社会では「投票の自由」や「投票の秘密(どこに投票するかは秘密にできる)」が保障されているはずなのだが、この通り、 「核」というレベルの話になると、田舎町でも、いや、田舎町ほどと言うべきか、 強制的に反対署名を迫るような選挙運動が、平気で繰り広げられたということだ。これは当然「憲法違反(15条)」レベルの 「選挙違反」のはずなのだが、これまた「田舎だからしょうがない」という価値観でもあるのだろうか。上記の記事でも、とくダネ!でも、 選挙違反については触れられていなかった。

 いちおう、かみくだいておくと、選挙に対してある候補者に投票することを宣言するステッカーを各戸に貼るということは、 そのステッカーを貼らないことは「その候補者には投票しない」ということを暗に示すと他人は解釈する。このことを根拠に、さまざまな「圧力」 や「いやがらせ」をすることが予想できるとき、このような「ステッカー貼り」は、確実に「投票の自由」を侵害している行為なのである。

 実際にとくダネ!でも、家族のうち一人が「核反対」の方に投票すると表明しておきながら、 黄色のジャンパーを着なかったことに関して、「まわりからいろいろ言われているらしい」ということを、そのご家族の一人がおっしゃっていた。 このように、外形的な目印を使うことで、投票に関する圧力をかけたり、結果的に「圧力がかかる」ことは、十分にあるのだ。

 

 私がここで指摘したいことは、なぜ、核レベルの問題であっても、理性的に「対話」を積み重ねようとしないのかという点だ。昨年の、 自民党の中川政調会長による「核武装の可能性を議論として行うべきだ」という発言に対する、マスゴミを中心とした信じられないくらいの 「感情的バッシング」、憲法9条を変えよと言う人間に対する、あきれるほどの「感情的反応」、そしてタイムリーな話題としては、 国民投票法案に対する「平和を望むなら改憲反対のはずだよね!!」という、無根拠な「感情的決め付け」など、自称「平和主義者」による「暴論」や「言論によるバッシング」をはじめとする「暴力的な攻撃」は、枚挙にいとまがなく、 後をたたない。例えばここ数日は、こちらのブログのあまりにもひどい立論やコメントに対する反応に、 私もコメントを書いたが、結局このブログの主は、論理的に自説を展開するどころか、「あなたは評論家ぶってていやなヤツなので、 ここに来るな」的な言い方で必死に私からの質問からも逃げ続けた。

 不思議で仕方がないのは、話題が

・核

・憲法9条

・改憲

あたりになると、自称「平和主義者」が、平気で感情的になり、「非論理的」な発言が平気でできるということだ。 先に挙げたブログだけでなく、あのブログにリンクしている多数の「平和を望む」ブログや、ブログ検索で「改憲反対」や 「国民投票法案に最低投票率を設けよ!」と主張しているほとんどのブログが、結論ばかりを繰り返し叫び、「なぜなのか」という「理由」 をほとんど書いていない。その一方で、反論に対して自説を建て直すこともせずに、無視を決め込んだり、感情的な誹謗中傷を繰り返すのである。

 オイオイ、そんなお前らがいる限り、憲法9条があったって、日本は絶対に平和を維持できないぞ。なぜなら、お前らみたいな 「感情的に豹変する」連中を、国際社会は絶対に信用しないからな。

などと、なぜ冷静に考えられないのだろうか。

 

 一つの可能性として私が推定していることは、どこで身につけたのか知らないが、 「これらのテーマに関してはどれだけ感情的になっても構わない。自分たちの立場や思想が『絶対に正しい』と思いこんで構わないのだ!」 という価値観を、どこかで「洗脳」され、骨身にしみこんでいるいるということだ。そう考えれば、件のブログでの、不思議な 「仲間意識」も、よ?く理解できる。そして、こう考えれば、今回の東洋町での「恐ろしい選挙妨害」も、これまたよ?く理解できるのである。 すなわち、

「核を拒否するためには、このくらいのことをやってもいいのよ!」

と、運動していた連中は、心底「正しい」と信じて、疑っていないということだ。

 

 日本随一の宗教放送であるnews23を始めとして、2chなどでも(これは笑ったが)、ことあるたびに「改憲」と 「軍国主義への回帰」をリンクし続けているが、日本が軍国主義へ傾いていったとすれば、その最重要要因であるはずの

「意見が違う他者の存在を感情的に攻撃してもかまわない」

という「救いがたい心性」を今でも持っているのは、少なくとも最近は、

・核反対!

・憲法を守れ!

と叫び続けている、自称「平和主義者」の方だろう。その証拠のひとつが、今回の東洋町での驚くべき選挙妨害現象だと、私は思っている。

 

 これが、日本人の本性だとは思わない。教育の要因が大きいだろう。そういう意味で、戦後の教育を支えた「平和主義」 という価値観には、大いなる欺瞞が含まれていると私は結論づけざるを得ない。

 

 


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2007-04-22

このようにして野党は国会審議をムダに潰してゆく<バ菅直人の「こじつけ質問」

 日曜にはなるべく記事を書かないようにしたいのだが、あまりにもひどいニュースを見たので、アーカイブしておく。

 

 菅直人は、昔から国会質問で、自分(たち)に有利になりそうなネタを強引に振ってきた。去年の、岸信介の開戦責任を安倍首相にしつこく問い続けた件などは、 まだ記憶に新しい。まあこれも、「予算委員会」だから、あらゆる分野の質問が許されるという「暗黙の了解」があるから、これに関して 「菅はルール違反をしている」と言うつもりはない。

 しかし、教育改革関連法案について審議するという、明確な目標を設定して開かれた「教育再生特別委員会」で、またこの「民主党のブーメラン男」が、端で見ていて痛すぎる「こじつけ質問」 をかましてくれた。

菅氏 教科書検定の文言削除めぐり首相追及 (日テレニュース24 07.04.20)

 教員免許に10年ごとの更新制度を設けるなど、 安倍首相肝いりの教育改革関連法案の審議は20日、衆議院で教育再生特別委員会が開かれ、本格化している。午後からは、民主党・ 菅代表代行が質問に立ち、教科書検定で沖縄戦の「集団自決」をめぐり、「日本軍の強制」 という文言が削除されたことについて、その理由をただした。

 菅代表代行「最終的に配られた手りゅう弾で命を落とす、自決した人が軍の命令、軍の指示によるものではないとなぜ言えるのか」 「推し進めたグループは、自由主義史観研究会という会。代表の藤岡さんはご存じですか?」

 安倍首相「全く関係ないじゃないですか。誰を知っているかを、いちいち私がこの委員会で答える意味があるんですか! この教育3法案と!」「首相になってからは、藤岡先生に会っていない。教科書検定そのものに、 その意見をもって私が介入したならそうかもしれないが、全くそんなことはない」

 菅代表代行「首相は最近、なかなか攻撃的になった。首相自身は、沖縄戦の歴史的事実についてどう考えているのか」

 安倍首相「(菅氏は)まさに沖縄の選挙があるから、こんな議論をしているのか。 違いますよね?もちろんね、違うと信じたい」「首相がいちいち、ここで言うべきなんでしょうか?」

 菅代表代行「ひきょうな態度と言わざるを得ない。いかがですか」

 安倍首相「ひきょうな態度というのは失礼ですよ、あまりにも」

 菅代表代行は、「日本軍の強制」という文言が削除された背景に関連し、 日本史における自虐史観の見直しを主張する学者グループと安倍首相の関係をただした。これに対して、安倍首相は、 教科書検定への関与を強く否定したが、集団自決において日本軍の強制があったかどうかについては答弁しなかった。

 

>教科書検定で沖縄戦の「集団自決」をめぐり、「日本軍の強制」 という文言が削除されたことについて、その理由をただした。

 今回俎上に上がっている教育関連法案と、「教科書検定」が、どう関係するのだろうか。

>自由主義史観研究会の藤岡さんを知っているか。

 首相の言う通りで、教育関連法案と何が関係あるのだろうか。

>安倍首相「(菅氏は)まさに沖縄の選挙があるから、こんな議論をしているのか。 違いますよね?もちろんね、違うと信じたい」「首相がいちいち、ここで言うべきなんでしょうか?」

 これだけ「テーマズレ」した質問をしつこく繰り返していれば、首相がこう言うのもよくわかる。

>菅代表代行「ひきょうな態度と言わざるを得ない。いかがですか」

 何がどう「ひきょう」なのだろうか…。それより、委員会の主旨と大きく外れた質問で、貴重な審議時間を潰し続けた菅の方が、 「ひきょう」どころではなく、「国民の信託を受けた国会議員として、行うべき職務から大きく逸脱している」人間だと思うのだが。

 委員長判断で、こういう質問は遠慮なく止めさせるべきだろう。当の菅は、「こういう質問に持って行くのが『国会質問技術』だ」 などと思っているのかも知れないが、国民に対するとんでもない背信行為である。

 

 

 このような、菅直人の、国会審議を選挙利用のためだけに、強引に引っ張った質問を、本日参議院の補選の投票が行われている沖縄では、 一応は「沖縄タイムス」が拾った。

論戦不発 識者は反発/ 「集団自決」修正(沖縄タイムス 07.04.21)

 【東京】沖縄戦の「集団自決」 について教科書検定で高校の歴史教科書から日本軍関与の記述が削除された問題が二十日の衆院教育再生特別委員会で取り上げられた。 安倍晋三首相は、民主党の菅直人代表代行に自らの沖縄戦観を問われ、「(検定の問題は)史実がどうだったかという議論であって、 総理大臣がそういうことをいちいち言うべきなんでしょうか」と明確な答弁を避けた。

 安倍首相はその後も管氏に対し「(教科書検定は)専門家が議論し、調査し、その上で意見を付けるのではないか。 私がいちいち事実を判断できるのであれば、教科書の検定は私が一人でやるということになる」と繰り返した。答弁に納得しない管氏が 「政治家としてひきょうな態度」と詰め寄ると、首相は「あまりに失礼」と応酬する場面があった。

 一方、伊吹文明文科相は「集団自決」をめぐる今回の教科書検定について「すべて軍の強制によって、 または手りゅう弾で自決したとは言い切れない。専門家は、軍の関与がなかったとは一言も言っていない。 軍の関与がすべてあったということではないと言っているだけだ。一方に偏った記述はしないというだけのことだ」との認識を強調。

 こうした答弁について高嶋伸欣琉大教授は「申請図書は 『日本軍に集団自決を強制された人もいた』などと書いただけ。『すべて』と書いたかのように言うのは、問題のすり替えだ。 強引な検定が生んだ事態を収拾できず、苦し紛れの言い訳を重ねている」と批判した。

 高嶋教授は安倍首相の発言についても「沖縄戦の経験は、 首相が目指す改憲の危険性を表す。それを察知し、逃げの一手を打っている」と指摘した。

 

 ふむ。この記事では「テーマズレ」に対する批評は一切なく、また例によって都合よく「識者」とやらが出てきてるのね。

>高嶋伸欣琉大教授は「申請図書は『日本軍に集団自決を強制された人もいた』 などと書いただけ。『すべて』と書いたかのように言うのは、問題のすり替えだ。

 この辺の議論は、我々国民に「申請図書」が公開されていないことが前提として問題であるが、こういう点を論ずる以前に、 なぜ沖縄タイムスは、「菅の質問が『教育再生特別委員会』での質問として適切なのか」という論点を完全に無視するのだろうか。やはり、 「反与党」のプロパガンダをしたいわけか。

>高嶋教授は安倍首相の発言についても「沖縄戦の経験は、 首相が目指す改憲の危険性を表す。それを察知し、逃げの一手を打っている」と指摘した。

 これに至っては、どのように「改憲の危険性」につながるのか、全く説明していない。その意味で、「識者の発言」として引用するには、 あまりにも信頼性が低い。

 ま、「識者の発言」と銘打って、意味不明の発言をうやうやしく引用することで、「考えるな!信じろ! 」という「暗黙のメッセージ」を発するのは、朝日さんを始めとする、低レベルなマスゴミがよくやることである。

 

 というわけで、菅と沖縄タイムスによる「ゴミ同志のゴミリレー」は、一応うまく行ったようだ。しかし、 読者はここでしっかり覚えておいてもらいたい。

 民主党には、こういう質問で「テーマズレ」を平気で犯し、貴重な審議時間を無駄に潰してしまう「代表代行」がいるということだ。 こういう「代表代行」をのさばらせておいて、その一方で、法案の採決では「審議が尽くされていない!」と、 もっともなことを言いながら、議場のマイクなどを強引に取り上げたりすることで、「与党が強行採決したぞ!」 という雰囲気作りにせっせといそしむ。民主党とは、そういう政党なのだと。

 

 

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/9f/0707bcd504eeb774277a5f84c8ecfa90.jpg

この記事に引用した、 少年法改正案の委員会採決を「与党が強行採決したぞ!という雰囲気」 を作るために集まってきた野党議員の図。>

 

 バ菅直人がいる政党には、今後一切投票するつもりはない。今日の区議選でも、民主党候補を全員除外することから、 投票相手を吟味することを始めている。

 口だけの「保守二大政党の片方」とは…政治経済の先生が「保守と革新」という概念を教えられなくなるだろうに(苦笑)。 お願いだから、「口だけの保守政党」は消えてもらいたい。正直に、「選挙対策のためだけの『なんでもあり党』」 に党名を変えればいいだろうに。

 

当ブログ関連記事 相変わらずの 「筑紫哲也教」大バクハツ<教育基本法改正 委員会可決の報道

 

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世論調査だけでなく、社説でも図に乗る朝日さん<最低投票率

 もう、「バカ暴走中」としか言いようがない状況だ。

 

国民投票法案、79%が最低投票率は必要 朝日新聞調査  (朝日さん 07.04.16)

 朝日新聞社が14、15の両日実施した全国世論調査(電話)によると、憲法改正の手続きを定める国民投票法案について、 「投票率が一定の水準を上回る必要がある」と考える人が79%に上った。法案の今国会での成立には「賛成」40%、「反対」37% と意見が分かれた。安倍内閣支持率は40%、不支持率は38%で、前回調査(3月31日と4月1日)の37%対43%から回復した。 支持が不支持を上回るのは、1月以来3カ月ぶり。

 13日に衆院を通過し、参院で審議が始まった国民投票法案には、改正のために必要な最低投票率などの規定は盛り込まれず、 有効投票の過半数の賛成があれば、投票率の高低にかかわりなく、憲法改正が成立する。質問では、 こうした説明をした後、投票率が一定の水準を上回る必要があるかどうかを聞いたところ、「必要」 が多数を占め、自民、 公明支持層でもほぼ8割。民主支持層では9割近かった。

(後略)

 

 この、略した後半を含めても、

・じゃあ、どのくらいの投票率で「国民投票成立」とみなすのか

については一切触れていないし(そもそも、このことを聞いているのかどうかさえわからない)、

・「最低投票率を下回れば、国民投票自体が成立しない」ということは、投票に行かないこと自体が「改憲反対」 と同じ意味になる

ということも「説明」しているのかどうかわからない。 まあ要するに「穴だらけ」の世論調査なのだが、この「穴だらけ」 に気をよくしたのか、社説でも語り始めたよ、さすが朝日さんである。

 

※ いつものように「後でまとめてツッコミを入れる」にはあまりにもレベルが低く、かつ量が多くなるので、 今回は逐次的にツッコミを入れていく。一段右に下がっているのが、社説の本文である(よくわからなかったら、 リンク先を一読してから読み直してほしい)。

 

国民投票法案―最低投票率を論議せよ  (朝日さん 社説 07.04.19)

 憲法改正の手続きを定める国民投票法案について、 無視できない世論が明らかになった。

 「投票率が一定の水準を上回る必要がある」と考える人が79% にも達し、 「必要がない」の11%を大きく引き離した。朝日新聞社の世論調査である。

…いや、だから、「どのくらいならいいのか」についての調査はしなかったの? ただ「必要ある」が79%もあるから、 被調査者の理解度はどうでもよくて、ただ「民意だ!」と騒ぎたいだけではないの? 違うというのなら、もう少し具体的な調査をすべきでは?

 

 国民投票法案の審議は参院に舞台を移したが、 衆院を通過した与党案にも、 否決された民主党案にも、投票が成立するための投票率に関する規定はない。

 共産、 社民両党は一定の投票率に達しなければ投票自体を無効にするという最低投票率制の必要性を指摘してきた。しかし、 これまでの審議では突っ込んだ議論にならなかった。

 たとえば韓国では、 有権者の過半数が投票しなければ無効になる。英国では、有権者の40% が賛成しないと国民投票は成立しないという最低得票率のハードルを設けている。

…で、それが何か?

 「韓国基準」でも、有権者の過半数の、そのまた過半数が賛成すれば憲法改正が可能ってこと?じゃ、「有権者の25%を越えれば」 憲法改正ってことか。

 (4.22修正)イギリスの憲法は、そもそも「不文憲法」 であり、この不文憲法を構成する、「過去の議会決議や通常の手続きで作られた法律の集まり」を変えるときには、 そもそも国民投票を必要としないのだが。要するに、イギリスは、憲法を変えるときに、そもそも国民投票を必要としないのである。

 朝日さんたら、こういう「都合の悪いこと」は、一切言わないわけね(苦笑)。

 …しかも、韓国基準程度なら、筑紫哲也などがブツブツ言っている言い回しと何ら変わりないが。

多事争論 07.04.11

従いまして、仮に投票率が50%ぐらいでそのうち過半数の、 つまり4人に1人よりちょっと多い部分が賛成ということになると、憲法は改正できるということになります。

 上記の韓国基準でも、「4人に1人よりちょっと多い部分が賛成ということになると、 憲法は改正できるということになります」が、何か?

 この調査を受けた被調査者は、こういう「他国の制度」を理解した上で、「最低投票率制」に賛成しているのかねえ?これについても、 この社説でも、先の記事でも、全く触れていない。

 えーと、朝日さんは、「衆愚」の御輿に乗ってご満悦なだけですか??

 

 国のおおもとを定める憲法の改正では、 主権者である国民の意思をどれだけ正確に測れるかが重要な論点のはずだ。 憲法96条は国民投票で過半数の賛成による承認が必要としているが、 あまりにも少数の意見で改正される恐れを排除するには最低投票率制は有効だ、と私たちも考える。

 仮に投票率が4割にとどまった場合には、 最低投票率の定めがなければ、 有権者のわずか2割の賛成で憲法改正が承認されることになる。それで国民が承認したとは、 とうてい言えまい。

…いや(笑)。あなたたちが挙げた、「韓国」でも、有権者のわずか25%以上の賛成で憲法改正が承認されるのですが。 「2割なら良くないが、2割半なら良い」というのが、朝日基準なのかね??

 もしかして、「有権者の5割の賛成で、憲法改正」と言いたい?だったら、 投票率100%にならないと、そんな数値は出ないし、「有権者の5割」という目標を達成したいのなら、それは「最低得票率」 という議論であって、そもそも、 「最低投票率」を定めること自体に、意味がないのですがね。…ま、朝日さんには、 この程度のこともわからないか。新聞作ってるくせに、頭使ってないねえ(苦笑)。

→最低得票率と、最低投票率の違いについては、当ブログの過去記事のこちらを。

 

 与党や民主党には、否決を狙ったボイコット戦術を誘発するとか、 国民の関心が低いテーマでは改正が難しくなりかねない、といった反対論が根強い。だが、主権者の意思を確かめることが、 いちばん大切なのではないか。

…いや(笑)。反論になってないのだが。「ボイコット戦術は起こらない」となぜ反論できないの?それは、 ボイコット戦術が起こりかねないからだろ?…頭悪すぎるな、この反論のしかたは。

 

 どうしても憲法改正を急がねばならないテーマが目の前にあるわけではない。 与野党の合意が得られない今回の法案は参院で廃案にし、参院選のあとの静かな環境のなかで改めて議論し直すべきだ、 と私たちは主張してきた。

…いや(笑)。朝日さんは、憲法改正がテーマになるたびに「今やる必要はない」と言い続けてきたのでは?じゃ、いつやるの?

 賭けてもいいよ。朝日さんは、参議院選挙の後は、 「与野党の議席が拮抗している中では、憲法改正の発議が起こることもない。だから、今あわてて議論すべきではない」と言うだろうと。

 すごいね、議員の任期をまたいだ牛歩戦術を、朝日さんは仕掛けてるわけだね(笑)。

 違うというのなら、「例えば、北朝鮮情勢などの国際状況がいつ激変するかわからない。いつでも必要に応じて、 憲法改正の発議を行える環境を整えておくべきだ」という主張に対する反論をお願いしたいものだ。朝日さんには無理かねえ?

 

 今回の調査では、 この法案をいまの国会で成立させることについて、「賛成」 が40%、「反対」が37%と二分された。

 1カ月前の調査では、 今国会で成立させるという安倍首相の考えに「賛成」 の人が48%、「反対」が32%だった。 ふたつの調査を単純には比較できないものの、 時間をかけてでも与野党の合意を求める世論の広がりがうかがえる。

 「どちらの調査でも、『賛成』が『反対』を上回っている」のだが、そういう書き方はできないのだね。さすが「朝日フィルター(C) ykimata氏」だ。

 ゾウが100人乗っても大丈夫!朝日フィルターー!\(^o^)/ (マゼルナ危険)

 

 国民の8割が一定以上の投票率が必要と考えている。なのに、 国会でほとんど議論がなされていない現状は、これまでの審議から重要な論点が抜け落ちていたことを与野党に突きつけている。

 被調査者が、どれだけ質問の意味を理解して答えているかという、 朝日さん的には必ずつっこむような点をあえて無視して、結果の数字だけを挙げて与野党に何か突きつけた気になっているのは、

「無関心が真実を見えなくしている」

などと、偉そうにCMを流している朝日さんが、自ら反面教師になってバカ踊りをしているということかね?

 この調査結果に、一番無関心なのは、朝日さんであろうに。

 今の日本人になら、「韓国に対馬を領土として譲ってもいいですか?」 という質問にも、過半数が「賛成」と答えるのでは??… これはマジで冗談にならないか?日教組教育の賜だね。

 あ、「日本には独島は不必要ですか?」と聞けば、きっと8割以上が 「Yes」と答えるだろうな。

 

 この問題のほかにも、メディア規制の問題、 公務員の政治的行為の制限など、 論議が不足している点は数多い。

 参院選で安倍カラーを打ち出すためにといった与党の思惑で、 強引に成立を急ぐようなことがあってはならない。

 時間というファクターを、政治において重要だと思えない人や新聞に、政治を語る資格はないよ。

 いつ、「政治的環境」が激変するかはわからない。これが、戦後の日本がいやおうなしに体験してきた「教訓」であろうに。

 湾岸戦争しかり、9.11しかり、北朝鮮ミサイル発射しかりである。

 朝日さんには、どうやら「トリ頭」程度の知能しかないようである。

 

 …と、ツッコミを入れてきたが、「社説は論理的文章の模範にはならない」の、まさに模範となるような社説であった。

 新学期になり、「論文教育」と称して、また今年も数多くの高校で「新聞の社説を書写したり要約する練習」をさせられている高校生が、 数万人単位で出てくるのだろうな…まさに、そういう高校生こそ、 今の教育の最大の犠牲者である。これが、「入試で出る新聞no.1」などと大いばりの「朝日クオリティ」なわけだよ。 私の担当生徒には、絶対にそんなことは言わない。「新聞の社説は絶対にまねるなよ!」と、しつこく言い続けている。そして、 社説を写せとか、社説を要約せよと言っている教師を、私は一切信用していない。

 

当ブログ関連記事 

甘ったれるのもいい加減にしたら?<最低得票率、最低投票率

朝日新聞を使って、一緒に憲法と民主主義について勉強しよう! <国民投票法案 

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2007-04-21

世論調査だけでなく、社説でも図に乗る朝日さん<最低投票率

 もう、「バカ暴走中」としか言いようがない状況だ。

 

国民投票法案、79%が最低投票率は必要 朝日新聞調査  (朝日さん 07.04.16)

 朝日新聞社が14、15の両日実施した全国世論調査(電話)によると、憲法改正の手続きを定める国民投票法案について、 「投票率が一定の水準を上回る必要がある」と考える人が79%に上った。法案の今国会での成立には「賛成」40%、「反対」37% と意見が分かれた。安倍内閣支持率は40%、不支持率は38%で、前回調査(3月31日と4月1日)の37%対43%から回復した。 支持が不支持を上回るのは、1月以来3カ月ぶり。

 13日に衆院を通過し、参院で審議が始まった国民投票法案には、改正のために必要な最低投票率などの規定は盛り込まれず、 有効投票の過半数の賛成があれば、投票率の高低にかかわりなく、憲法改正が成立する。質問では、 こうした説明をした後、投票率が一定の水準を上回る必要があるかどうかを聞いたところ、「必要」 が多数を占め、自民、 公明支持層でもほぼ8割。民主支持層では9割近かった。

(後略)

 

 この、略した後半を含めても、

・じゃあ、どのくらいの投票率で「国民投票成立」とみなすのか

については一切触れていないし(そもそも、このことを聞いているのかどうかさえわからない)、

・「最低投票率を下回れば、国民投票自体が成立しない」ということは、投票に行かないこと自体が「改憲反対」 と同じ意味になる

ということも「説明」しているのかどうかわからない。 まあ要するに「穴だらけ」の世論調査なのだが、この「穴だらけ」 に気をよくしたのか、社説でも語り始めたよ、さすが朝日さんである。

 

※ いつものように「後でまとめてツッコミを入れる」にはあまりにもレベルが低く、かつ量が多くなるので、 逐次的にツッコミを入れていく。

 

国民投票法案―最低投票率を論議せよ  (朝日さん 社説 07.04.19)

 憲法改正の手続きを定める国民投票法案について、 無視できない世論が明らかになった。

 「投票率が一定の水準を上回る必要がある」と考える人が79%にも達し、 「必要がない」の11%を大きく引き離した。朝日新聞社の世論調査である。

…いや、だから、「どのくらいならいいのか」についての調査はしなかったの? ただ「必要ある」が79%もあるから、 被調査者の理解度はどうでもよくて、ただ「民意だ!」と騒ぎたいだけではないの? 違うというのなら、もう少し具体的な調査をすべきでは?

 

 国民投票法案の審議は参院に舞台を移したが、衆院を通過した与党案にも、 否決された民主党案にも、投票が成立するための投票率に関する規定はない。

 共産、 社民両党は一定の投票率に達しなければ投票自体を無効にするという最低投票率制の必要性を指摘してきた。しかし、 これまでの審議では突っ込んだ議論にならなかった。

 たとえば韓国では、 有権者の過半数が投票しなければ無効になる。英国では、有権者の40% が賛成しないと国民投票は成立しないという最低得票率のハードルを設けている。

…で、それが何か?

 「韓国基準」でも、有権者の過半数の、そのまた過半数が賛成すれば憲法改正が可能ってこと?じゃ、「有権者の25%を越えれば」 憲法改正ってことか。

 「イギリス基準」では、有権者の40%の、そのまた過半数が賛成すれば憲法改正ってこと?じゃ、「有権者の20%を越えれば」 憲法改正ってこと?

 …この程度なら、筑紫哲也などがブツブツ言っている言い回しと何ら変わりないが。

多事争論 07.04.11

従いまして、仮に投票率が50%ぐらいでそのうち過半数の、 つまり4人に1人よりちょっと多い部分が賛成ということになると、憲法は改正できるということになります。

 イギリス基準より厳しい、韓国基準でも、 「4人に1人よりちょっと多い部分が賛成ということになると、憲法は改正できるということになります」が、何か?

 この調査を受けた被調査者は、こういう「他国の制度」を理解した上で、「最低投票率制」に賛成しているのかねえ?これについても、 この社説でも、先の記事でも、全く触れていない。

 えーと、朝日さんは、「衆愚」の御輿に乗ってご満悦なだけですか??

 

 国のおおもとを定める憲法の改正では、 主権者である国民の意思をどれだけ正確に測れるかが重要な論点のはずだ。 憲法96条は国民投票で過半数の賛成による承認が必要としているが、 あまりにも少数の意見で改正される恐れを排除するには最低投票率制は有効だ、と私たちも考える。

 仮に投票率が4割にとどまった場合には、最低投票率の定めがなければ、 有権者のわずか2割の賛成で憲法改正が承認されることになる。それで国民が承認したとは、とうてい言えまい。

…いや(笑)。あなたたちが挙げた、「イギリス」では、有権者のわずか2割の賛成で憲法改正が承認されるのですが。

 「有権者の5割の賛成で、憲法改正」と言いたい?だったら、投票率100% にならないと、そんな数値は出ないし、「有権者の5割」という目標を達成したいのなら、それは「最低得票率」 という議論であって、そもそも、最低投票率を定めること自体に、 意味がないのですがね。…ま、朝日さんには、この程度のこともわからないか。新聞作ってるくせに、頭使ってないねえ(苦笑)。

→最低得票率と、最低投票率の違いについては、当ブログの過去記事のこちらを。

 

 与党や民主党には、否決を狙ったボイコット戦術を誘発するとか、 国民の関心が低いテーマでは改正が難しくなりかねない、といった反対論が根強い。だが、主権者の意思を確かめることが、 いちばん大切なのではないか。

…いや(笑)。反論になってないのだが。「ボイコット戦術は起こらない」となぜ反論できないの?それは、 ボイコット戦術が起こりかねないからだろ?…頭悪すぎるな、この反論のしかたは。

 

 どうしても憲法改正を急がねばならないテーマが目の前にあるわけではない。 与野党の合意が得られない今回の法案は参院で廃案にし、参院選のあとの静かな環境のなかで改めて議論し直すべきだ、 と私たちは主張してきた。

…いや(笑)。朝日さんは、憲法改正がテーマになるたびに「今やる必要はない」と言い続けてきたのでは?じゃ、いつやるの?

 賭けてもいいよ。朝日さんは、参議院選挙の後は、 「与野党の議席が拮抗している中では、憲法改正の発議が起こることもない。だから、今あわてて議論すべきではない」と言うだろうと。

 すごいね、任期をまたいだ牛歩戦術を、朝日さんは仕掛けてるわけだね(笑)。

 違うというのなら、「例えば、北朝鮮情勢などの国際状況がいつ激変するかわからない。いつでも必要に応じて、 憲法改正の発議を行える環境を整えておくべきだ」という主張に対する反論をお願いしたいものだ。朝日さんには無理かねえ?

 

 今回の調査では、この法案をいまの国会で成立させることについて、「賛成」 が40%、「反対」が37%と二分された。

 1カ月前の調査では、今国会で成立させるという安倍首相の考えに「賛成」 の人が48%、「反対」が32%だった。ふたつの調査を単純には比較できないものの、 時間をかけてでも与野党の合意を求める世論の広がりがうかがえる。

 「いずれにせよ、『賛成』が『反対』を上回っている」のだが、そういう書き方はできないのだね。さすが「朝日フィルター(C) ykimata氏」だ。

 ゾウが100人乗っても大丈夫!朝日フィルターー!\(^o^)/ (何か混ざってるなぁ…)

 

 国民の8割が一定以上の投票率が必要と考えている。なのに、 国会でほとんど議論がなされていない現状は、これまでの審議から重要な論点が抜け落ちていたことを与野党に突きつけている。

 被調査者が、どれだけ質問の意味を理解して答えているかという、朝日さん的には必ずつっこむような点をあえて無視して、 結果の数字だけを挙げて与野党に何か突きつけた気になっているのは、

「無関心が真実を見えなくしている」

と、偉そうにCMを流している朝日さんが、自ら反面教師になってバカ踊りをしているということかね?

 この調査結果に、一番無関心なのは、朝日さんであろうに。

 今の日本人になら、「韓国に対馬を領土として譲ってもいいですか?」 という質問にも、過半数が「賛成」と答えるのでは??… これはマジで冗談にならないか?日教組教育の賜だね。

 

 この問題のほかにも、メディア規制の問題、公務員の政治的行為の制限など、 論議が不足している点は数多い。

 参院選で安倍カラーを打ち出すためにといった与党の思惑で、 強引に成立を急ぐようなことがあってはならない。

 時間というファクターを、政治において重要だと思えない人や新聞に、政治を語る資格はないよ。

 いつ、「政治的環境」が激変するかはわからない。これが、戦後の日本がいやおうなしに体験してきた「教訓」であろうに。

 湾岸戦争しかり、9.11しかり、北朝鮮ミサイル発射しかりである。

 朝日さんには、どうやら「トリ頭」程度の知能しかないようである。

 

 …と、ツッコミを入れてきたが、「社説は論理的文章の模範にはならない」の、まさに模範となるような社説であった。

 新学期になり、「論文教育」と称して、また今年も数多くの高校で「新聞の社説を書写したり要約する練習」をさせられている高校生が、 数万人単位で出てくるのだろうな…まさに、そういう高校生こそ、 今の教育の最大の犠牲者である。これが、「入試で出る新聞no.1」などと大いばりの「朝日クオリティ」なわけだよ。 私の担当生徒には、絶対にそんなことは言わない。「新聞の社説は絶対にまねるなよ!」と、しつこく言い続けている。そして、 社説を写せとか、社説を要約せよと言っている教師を、私は一切信用していない。

 

当ブログ参考記事 朝日新聞を使って、 一緒に憲法と民主主義について勉強しよう!<国民投票法案 

 

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2007-04-20

少年法だけに焦点を当てる愚かさ

少年法改正、今国会成立へ 与党修正案を衆院法務委可決(朝日さん 07.04.18)

 衆院法務委員会は18日、刑事責任を問えない14歳未満の少年について警察の調査権限を強め、 少年院送致を可能にする少年法などの改正案の与党修正案を自民、公明両党の賛成多数で可決した。今国会で成立する見通し。 政府が提出した改正案を大幅に見直し、警察の権限規定の一部を削除。少年院に収容する対象を「おおむね12歳以上」に限った。 民主党との共同修正を目指していたが、与党は急きょ、採決の強行に踏み切った。

 可決された修正案は、14歳未満でも法に触れる行為をした少年について、警察に押収・ 捜索など強制調査権限を与える▽おおむね12歳以上の少年を、家裁の判断で少年院に送致できる――などが柱だ。

 法改正は長崎県佐世保市で04年に起きた小6女児の同級生殺害事件などがきっかけ。14歳未満の事件では、 警察は任意の事情聴取しかできないことから「事件の解明が不十分に終わる」とする犯罪被害者の声を受け、05年に閣議決定された。 政府が提出した法案の眼目は、「将来罪を犯す恐れのある虞犯(ぐはん)少年」を調査対象にすること▽少年院送致の下限年齢(14歳) の撤廃――だった。

 しかし、事件から時間がたち、世論も沈静化する中で、この2点について、今国会では野党だけでなく、 与党からも「定義があいまいで乱用の危険性がある」「福祉の観点がおろそか」 などの慎重論が出ていた。

 与党は17日、民主党と初の修正協議に臨んだが合意が得られず、与党だけで押し切る方針を決定。怒号の中での採決となった。

 

んでもって、また「与党が強行採決したという雰囲気」作りにいそしむ野党の図。

 

 少年法 強行採決の雰囲気を作る野党

 

 少年法改正は、2000年の長崎のバスジャック事件のときに随分考えた。当時から不思議であり、今なお変わっていないのは、 少年法が、少年を更生するための魔法の杖のような扱いを受け続けている点だ。

 いわゆる自称「人権派」は、現実として、少年法が子どもに甘かろうが何だろうが、

「現状の少年法は『保護主義』を体現したものであり、これを変えることは、『保護主義』 の破壊だ!」

という演説に自己満足を続け、

一方で、誰が名づけたか知らないが「厳罰派」は、

「少年法を厳しくしさえすれば少年犯罪は収まる!」

と、何となく思いこんでいる。かくして、少年法が、少年犯罪に対処する「伝家の宝刀」、 あるいは「少年を守るための聖なる砦」に祭り上げられていく。

 

 このレベルの議論では何も解決しない。小倉智昭は番組でしつこく「少年法を厳罰化しても、少年犯罪は減ってないでしょう!」 と叫び続けている。当たり前である。犯罪というファクターは、少年法だけで決まるわけではない。例えば、どんどん溶けていく親子関係など、 少年の犯罪行動に影響を与える要素は他にもたくさんある。少年法という要素で言えば「改善」された現状でも、他の要素が「悪化」していけば、 少年犯罪は減らない。

 しかし、だからといって「少年法は今のままでいい」ということにもならない。小倉はこの点を忘れているか、あえて無視し続けている。

 

 結論を言おう。少年犯罪対策として、最重要なことは、少年法より、 「取られる措置の質」である。犯罪を犯した多くの少年が送られる「少年院」での「更正教育の質」を見直すことが、 更正の面では最重要であろう。少年法に関する報道は、改正が議論されるたびに、うんざりするほど続けられるが、こと「指導される場所」 として最も重要であるはずの「少年院」が、どのような方針で、更正指導を行っているかについては、報道はきわめて少ない。私が知る限り、 現状の少年院の基本方針は、「もうここに来るな」というものであり、少年院での生活が「厳しい」 と入院者が感じるようなプログラムが基本のようである。自分が犯した犯罪の「何」が「なぜ」、「どのように」問題なのかについては、 少年同士での議論はさせられるが、「更正のための徹底した指導」と呼べるようなものは行われていない。極端ではあるが、犯罪を犯した少年が、 その犯した犯罪について「トラウマ」を感じるくらいの指導を、少年院では行うべきであろう。それでこそ、「再犯を防ぐ教育を行う」という、 少年法の精神を最も生かした施策であろう。

 現状の「保護主義」とは、要するに、「やったことは仕方がない」程度の甘い認識で、特に処分が決まった後の措置については、 やけに少年に甘い。その証拠が、「少年院に送られても、それは『少年版刑務所』みたいなもので、しばらくがまんすればまた出られる」 という程度の、当の少年側の認識である。ここにメスを入れることが最重要だと私は考える。

 

 しかし、与党も野党もマスゴミも放送関係者も、このレベルの話にメスを入れることはなぜかしない。つくづく不思議である。

 この一方で、少年法自体を変えなければ実行できないこともあるだろう。それについては、追って考えていく。

 

【主張】少年法改正案 犯罪低年齢化でやむなし(産経 07.04.20)

 少年犯罪は、年々、低年齢化の傾向がみられるため、どのように法律を整備して、 その防止につなげるかが喫緊の課題である。

 とくに、現行法では刑事責任を問えない14歳未満で、法に触れる行いをした少年 (触法少年)の事件の取り扱いが、 これまで何度も問題視され、論議を呼んできた。

 平成9年の神戸の連続児童殺傷事件を契機に、まず少年法が改正され、刑事罰の対象が、 16歳以上から14歳以上に引き下げられた。 次に16年の佐世保市での小6女児同級生殺害事件など14歳未満の少年の凶悪犯罪が相次ぎ、今回の法改正の動きにつながった。

 19日の衆院本会議で自民、公明両党の賛成多数により可決された少年法改正案は、 事件の捜査に当たる警察に強制調査権を与え、少年院送致もこれまでの14歳以上から、「おおむね12歳以上」としたのが特徴だ。

 野党などは、「保護、矯正教育を目的とする少年法本来の趣旨から逸脱している」 として改正案に強く反対している。しかし、 少年犯罪の凶悪化、低年齢化が進んでいる現状を鑑(かんが)みれば、 今回の改正案は仕方があるまい。

 また、時代の流れでもある被害者感情に配慮したことも、改正案可決に結びついた。 18日の衆院法務委員会で、 改正案を野党の猛反対を押し切って与党だけで可決したことについて、安倍晋三首相は 「被害者の気持ちも踏まえれば、やむを得ない」 との感想を述べた。その通りであろう。

 これまで、14歳未満の触法少年が殺人などの重大事件を起こした場合、 警察は任意の捜査しかできなかったが、改正案は、 新たに警察に捜索・押収などの強制調査権を与えている。

 任意捜査には限界がある。重大事件でも、事件の捜査、検証が不十分にしかできない。 警察が強制調査権を持つことは、 少年犯罪の解明に大きな手段になるものと期待される。

 ただ、相手が少年だけに、警察当局には慎重な調査が要求される。 触法少年から事情聴取する場合、強圧的、強引なやり方は、 絶対に避けなければならない。 警察には強制調査権の乱用を厳に慎むよう強く求めたい。

 少年犯罪は厳罰化に加え、学校、家庭、地域、警察の緊密な連携で、 防止に全力を挙げる努力が必要だ。

 先日、とある小4が「自分が見たAVのまねをしたかった」と、同級生を暴行した事件が話題に上ったばかりである。 法律として何をすべきかという議論も、上記の議論と含めて、並行して行っていくべきだろう。その意味で、私は、 「少年法は常に見直していくべき」という考えである。この記事のタイトルにだまされないように(笑)。

 

当ブログ参考記事  「基準問題」と自我の無制限な拡張

 

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2007-04-19

韓国人銃乱射事件・・・朝鮮日報に恐ろしいデータが

◆ アメリカの日本人が心配

 韓国人がアメリカの大学で銃を乱射、32人以上も死者を出した、アメリカ史上最悪の銃乱射事件は、 アメリカで今後韓国人に対する当たりのきつさとなって影響を与えるだろう。なぜかTOEFLが韓国人だけ申し込みができないなど、 不思議なものも含め、さまざまな現象が生じている。

 しかし、私はアメリカ在住の日本人が心配だ。多くのアメリカ人にとっては、日本人も韓国人も中国人も同じ "yellow"であり、 特に「日本人といえばメガネ」というイメージが広まっていると聞いている。今回の犯人のメガネ姿がアメリカで報道されればされるほど、 日本人がとばっちりを喰らう可能性が高まる。アメリカ在住の日本人は、さぞかし神経を使うだろう。お察しする。

 

◆ 韓国ではおめでたくも「ネチズン」の意見を丁寧にご紹介

 日本標準では全く信じられないが、韓国の新聞では、ネットでの意見を、ハンドルネーム(HN)つきでご紹介している。HNなど、 その気になればいくらでも変えられるのだから、HNをつけずに紹介すれば良いだろう。HNをつけて紹介するから、 ネットに書き込む連中は自分自身の存在感が現実より大きいと感じ、実生活よりネットに没入しやすくなるだろうに。ネットに書き込む連中を 「ネチズン」などともてはやす韓国の文化が、深いところで今回の事件にも影響しているように思えてならない。アメリカに渡った後も、 インターネットを使えば韓国の「ネット世界」にアクセスすることなど、実にたやすいのだから。

米大学乱射: 「犯人は韓国人」にネットユーザー騒然 (朝鮮日報 07.04.18)

 バージニア工科大学での銃乱射事件の犯人が韓国人留学生チョ・スンヒ容疑者(23)=英文学科=であることが判明して以来、 衝撃を受けた韓国のネットユーザーらは「信じられない」といった反応を見せた。

 ネットユーザーはこの驚くべき事件に触れ、口々に「信じられない」との反応を見せた。ポータルサイト「ネイバー」 のハンドルネーム「ageha5」は「犯人が韓国人だというが、今も信じられない。名前が中国人と似ているとすれば、 警察の最終発表を待つべきだ」と書き込んだ。また、「jhyun」も「韓国人がそこまで残忍だったとは、開いた口がふさがらない。 捜査結果に間違いはないか、最後まで見守る必要性がある」とした。 

 特に米国現地に居住しているネットユーザーは、 同事件を機に米国に居住する海外同胞や留学生たちが不利な立場に立たされるのではないか、と懸念した。 特に現在米国に住む海外同胞たちの懸念は大きかった。ハンドルネーム「razel83」は「今後、米国社会で韓国人の受ける不利益は、 言葉では語り尽くせないだろう」とつづった。また、朝鮮ドットコムの「goregous」=米国居住=は「明日学校に行くのが恐ろしい」 と正直な心境を語った。

(後略)

 

 その一方で、中国では「胸をほっとなで下ろした」とのこと…「アメリカ人から見てどう扱われるか」ということが考えられないのかね… 。

米大学乱射: 胸なで下ろす中国のネットユーザー (朝鮮日報 07.04.18)

 米バージニア工科大学で発生した銃乱射事件について、昨年8月上海でビザを取得し、 米国に入国した中国留学生が犯人との報道が17日に出ると、中国のインターネットユーザーらは一時期騒然となった。

 中国ネットユーザーらはこの日、初めは「信じられない」という反応を見せ、次に米国を非難する反応が現れ、 韓国人が犯人という事実が明らかになった後は「それ見たことか。やはり中国人ではなかったじゃないか」と胸をなで下ろすなど、 複雑な反応を見せた。

(中略)

 またネットユーザーらは、当初犯人が中国人と報道されたことに対し、 「今回米国が取った中国に対する態度は、米国人が33人の中国人を殺害したのと同じ」と米国を批判した。

 その後、この日の夕方9時ごろに韓国人が犯人との報道が出ると、ネットユーザー「聖母」は「神様に感謝します。ついに(記事の) 見出しが変わりました。犯人は韓国人だそうです。全世界がこの事実を知ることになりました」とコメントした。

 中国国営新華社通信など中国マスコミはこの日、事件を特集で扱い、時々刻々と新情報を報じ続けた。 中国外交部の劉建超報道官は17日の定例ブリーフィングで、「今回の事件に中国は非常に驚き、深い哀悼の意を表する。 今日李肇星外相がライス米国務長官に哀悼の意を伝える」と語った。

 

 バ韓国人もびっくりの感情的反応だ。中国での反日教育のツケだな。「他者への憎しみ」を、教育で都合良く使おうとするから、 こういう「直結バカ」が後を絶たない。哀れなものだ(笑)。

 

◆ 韓国での不気味なデータ

 日本でも韓国でも、この事件は「民族性というよりパーソナリティの問題」という認識のようだが、ご当地の新聞、朝鮮日報では、 こういう不気味なデータを4/17に報道している。

10代の性犯罪: 韓国の強姦犯は米国の2倍・日本の10倍 (朝鮮日報 07.04.17)

 

 

(前略)

 韓国では今、10代の強姦犯が急激に増えている。10代の人口10万人当たりの強姦犯の数を見ると、米国は6.0人、 日本は1.1人であるのに対し、韓国は11.5人に上る。つまり、日本の10倍、米国の2倍というわけだ。この5年間の推移を見ても、米国は6.4人から6.0人、日本は2.1人から1.1 人に減っているのに対し、 韓国は7.3人から11.5人と大幅に増えている。

(中略)

 専門家らは、先進国でも1990年代までは10代の性犯罪を単なる「非行」として扱ってきたが、 10年余り前からさまざまな対策を講じてきたことで、性犯罪の発生率が大幅に減った、と指摘した。

 こうした中、性犯罪を犯す少年の年齢は、年を追うごとに低くなっている。この3年間で14歳未満の性犯罪者は3倍に増え、 14歳(中学2年生)の性犯罪者も2倍以上に増えた。一方、10代の性犯罪者に占める19歳(大学1年生) の比率は21.4%から13.2%に下がった。

 韓国の10代による性犯罪は、成人よりもさらに過激だ。10代による性犯罪のうち、強姦罪、集団強姦罪、 強盗強姦罪が占める比率は45.6%で、成人の31.7%を大幅に上回る。

 中でも10代には集団強姦罪が多い。全体の50.7%は共犯者がいるという。一方で成人の場合は70%が単独犯だ。

 また、3人中1人が再び犯行に及んでいる。これには起訴率が低い(27%) ことに代表される甘い対処が再犯者を生んでいるとの指摘も出ている。

 このほか、10代の場合、友人や先輩・後輩、近所の仲間など、 親しい者同士で性犯罪を犯す比率が成人の3倍に達することも分かった。

 

 韓国メディアが、こういう方向で日本と韓国を比べることは極めて珍しい。ユンソナの例を挙げるまでもなく、韓国メディアはとにかく、 「日本より韓国の方がいい」という例として日本を使いたがるものなのだから。今回は真逆である。

10代の性犯罪: 事件の大半は集団暴行、罪悪感なし (朝鮮日報 07.04.17)

 

 

 

◆韓国で発生している10代による性犯罪の特徴 

 本紙が最近発生した10代による性犯罪10件を分析した結果、韓国の10代による性犯罪は「インターネットでのチャット (またはセクハラ) → 弱みを握りこれを暴露するといった脅迫 → 1対1の性犯罪 → 再び暴露すると脅迫 → 集団による性犯罪」 といった悪循環をたどっていることが分かった。このような過程から、1人の女子生徒を集中的に犯していく残忍性が見受けられる。

 例えば、今年2月初めに光州広域市北区に住む加害者A(16)=高1=はインターネットのチャットを通じてBさん(14) =中3=と知り合った。その後、Aはチャットの内容を暴露すると脅し、学校のトイレでBさんと性関係を結び、 この内容を暴露すると再び脅迫。その後、他の男子生徒を引き入れ延べ 11回にわたり、Bさんに性的暴行を加えた。

 このように、韓国の10代による性犯罪が持つもう1つの特徴は、 集団的犯罪が多いという点だ。10代の性犯罪の半分が集団による暴行だ。ちなみに成人では70%が単独犯だという。

 これについて明知大学青少年指導学部のチョ・アミ教授は「韓国の10代の若者は同年代による仲間意識が強く、 集団的犯行に及ぶケースが多い」とし、「仲間と一緒なら、 責任感や道徳観念にさいなまされることもなく、容易に犯罪へと踏み込めるため」と分析している。

◆罪意識のない若者 

 こうした中、性犯罪を犯す年齢も徐々に低年齢化してきている。昨年14歳未満が犯した性犯罪 (42件)は3年前(14件)に比べて実に3倍にも増えた。また同期間で14歳 (中2)による性犯罪も2倍以上に増えた。

 一方、19歳(大1)による性犯罪は3.6%減っている。昨年これらの犯罪を犯し逮捕された10代のうち、 中学3年生の占める割合(284人)が大学1年生の占める割合(240人)よりも多かった。

 問題は、これらの加害者たちが罪意識をほとんど感じていないということだ。 警察庁が、京畿大学のイ・スジョン教授チームとともに南陽州市の「集団暴行事件」 に加わった中学生6人の心理分析を行った結果、反社会性は平均55点(50点以上が危険とされる)で、 被害者に対する罪意識は37点から47点にすぎなかったという。

 

 …恐ろしすぎる。今回の銃乱射事件は単独犯、ここで指摘されているのが集団による暴行という違いはあるが、韓国でも、道徳観念が 「溶解」とでも呼ぶべきほどに破壊が進んでいることを感じさせる。あちらでも、親子関係が壊れ、 生徒の変化に対応できない教師が増えているのだろうか。韓国でも、他者への憎しみを都合良く教育に使おうとする「反日教育」 が行われてきたからな…しっかり「ツケ」が回っているという側面は否定できないだろうな。こんなにひどい状況では。

 

 グラフを見てさらに背筋が寒くなるのが、性犯罪の被害者の過半数が「知人」という事実である。まさに、

 やりたい女 みんなで犯れば 怖くない

が、今の韓国人の未成年の性犯罪者の「標準」になりつつあるということだ。

 

 以上をまとめると、直接の因果関係は永久にわからないが、韓国での未成年の犯罪動向から、 「犯罪行為への欲望がコントロールできていない」という傾向は否定できないようである。これを機に、 韓国での教育や親子関係の見直し論議が高まるかどうか、注視していかなければなるまい。

 日本にも、そりゃあたくさん韓国人がいるのだから。

 

 

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松本潤の伴がなぁ・・・<バンビ~ノ! 第1話

 スピリッツで私が読んでいる数少ないマンガだが、水曜10時枠でドラマ化された。

バンビ~ノ!

 原作者のせきやてつじ氏の、毛筆のような、勢いを生かした筆のタッチと、ひたすら料理人の「王道」 を追求するストイックなストーリー(それでいてうまく配置転換を絡めることで、読者が飽きないようによく工夫されている) が実によくマッチした、編集者と漫画家の理想的なタッグマッチだと私は思っている。若者が主人公ながら、 ストーリーにほとんど恋愛を絡めていないのがいい証拠だ。言うなれば、よく練られた現代風「スポ根モノ」である。

人物相関図

 主人公として松本潤が起用されているが、どうもなぁ…。事務所の力関係でという、 もっともらしい理由がまた巷のブログでは席巻するのだろうが…原作と違っていても、それなりの味があればいいのだが、 虚勢の張り方に味がない。生意気な若者が、人気店の現実に耐えきれず、ただギャーギャー反抗している。 例によって先輩にボコられて帰ってきたときも…オイオイ、それは「アイドルのかっこよさ」であって、原作の伴君に表れていた「うわ~! 仕事できないクセに不敵な目だけはギラギラしてるのね~!」という「クサさ」が感じられなかった。どことなく線が細いんだよなぁ…やはり、 松本はミスキャストだと思う。

 仕事ができないクセに目は不敵、これが、このマンガのおもしろさなのになぁ。原作では、不敵であるがゆえに打たれ強く、さまざまな 「試練」を、その打たれ強さで乗り越えていくというのが主な流れである。

 以下、白河基準で、良かったキャストと悪かったキャストを並べてみる。

 

◎ 北村一輝(与那嶺しゃん) …イイ!与那嶺しゃんの「仕事はできるクセになんか怪しい雰囲気」がよく出ている。北村さんも、 ダークな役が多い中で(あの怪しげな声のせいだろうか…)、今回のような明るい役を見られるのはうれしいものである。ダークな役も、 続けているとストレスが溜まると思うのよね。そんなストレスがもしあるのなら、このドラマで思い切り放出していただきたい。

○ 佐々木蔵之介(桑原しゃん) …原作ではあまり絡んでこないのだが、ドラマではしっかり絡めていくということか。だとしたら、 よ~く見ていかんとなぁ。あくまでも原作とは違う、オリジナルキャラをしっかり作っていたところが○。  原作では寡黙ながら仕事はテキパキこなす役どころ。ドラマでは、オーナーシェフがいないときには厨房を仕切っている、実質的なシェフ。 初回はやや出過ぎか。与那嶺しゃんと二人で、支配人の美幸しゃん(内田有紀)をはさんで座っているシーンには吹いた。オイオイ、 そんな役ちゃうやんけ…。

○ ほっしゃん(織田しゃん) …初めてキャスティングを聞いたときから、「ナイス配役!」と思っていたのが彼。 ちょうどスピリッツで今連載しているのが、ドルチェ担当の織田しゃんの下に伴が回されているエピソード。 ドラマでこのエピソードまで扱うかどうかが私にとっては興味津々。原作での、引きこもり的な「暗さ」がないが、「変な人感」 はほどよく表れている。芸人さんだから、少ない出番の中で目一杯しゃしゃり出ようとするのかと思ったが、 しっかり自分の役割を考えて演じている。

 

× 佐藤隆太(香取しゃん) …いや、佐藤はがんばっている。テレビドラマで放送できるのはこのくらいのオーラかも知れない。しかし… 原作の香取しゃんはもっともっと怖い。伴はいつか香取しゃんにコロサレルのではないかと本気で心配していたときもあったくらいだ (白河基準)。まー目が怖いのよね。佐藤はむしろ伴君向きだと思うのだがなぁ・・・香取しゃん役は、もっとオーラで「怖さ」 を表現できる若手がええのだが…誰がいいかのう…思いつかん。思いついたら追記しておく。そんなわけで、佐藤はがんばっているが、 オーラ的な怖さが足りない。

× 内田有紀(美幸しゃん) …これも原作とは全然雰囲気が違う。原作では「美人だが何を考えてるかわからない怖さ」がある。だから、 伴を陰ながら応援しているかどうかも原作ではわからなかったと記憶している。しかし、ドラマでは、 思い切り陰からニコニコ見守りながら応援している。星明子(星飛雄馬の姉ちゃん)的キャラ決定か。もう2段階ほど、厳しい雰囲気がほしい。 でないと、「人気店の現実は厳しいのね~」という、重要な前提がゆらいでしまう。

× 香里奈(あすかしゃん) …まー顔が全然違うから、キャラが違うのも仕方ないのかねぇ…。これも事務所枠?うまく言えないが、 ピリピリ感とでも言うべきか、厨房の一員としてシャキシャキやっているようにあまり見えない…。厨房での体のさばき方が甘いのかも知れない。 そもそも、店の規模の割に厨房が狭すぎないか??ホール担当が厨房担当の3倍はいるように見えるのだが…。あすかしゃんも、 原作では重要な役回りを演じるだけに、初回では「どうもなぁ」感がぬぐえなかった。

× 市村正親(オーナー) …かけ声など、さすが芸達者な市村さんではあるが、原作のオーナーの、 ガマガエル的な底の見えない恐ろしさが見えない。かっこよくなくていいから、おおいにガマガエルを演じて、 その結果としてかっこよさが出てくると思うのだがなぁ…。

×× 向井理(妹尾しゃん) …こんなキャラだっけか??こいつがいるせいで、厨房が小学校みたいな雰囲気になる。 これは小学校のいじめドラマじゃないのだが…。

× 松本潤(伴) …最初に書いた通り。これから、「松本潤の伴」というキャラがしっかり出てくるかどうかしだい。初回は…×。

 

 ま、あくまでも初回なので、今後の展開に期待ということで。弁護するときの言いわけではなく、本当に多くの人が見て、 「原作とはまた別の作品」に見えるものになれば、×の評価も変わっていくだろう。

 

 

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2007-04-17

改憲、護憲と憲法99条(公務員の憲法尊重擁護義務)に関する一考察

 国民投票法案について調べてみると、意外と憲法第九九条が重要な要素として働いていることに気づく。

 

日本国憲法 第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、 国会議員、 裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 

 この条文は「公務員の憲法尊重擁護義務」と言われることが多い。今まで、弁護士やら「自称リベラル」の人々は、 この条文が、あたかも個人としての自由権より優先する「義務(縛り)」として働くかのように、 さまざまな場面で、自衛官などの「公務員」や、政治家などの「公務員」を叩いてきた。

 

立川反戦ビラ事件無罪判決と表現の自由 より 弁護士  内田雅敏氏の発言

>内田 はい。公務員の政治的行為の制限に対する国の態度は極めて恣意的です。昨年10月15日に、陸上自衛隊の幹部が、 元防衛庁長官で当時自民党憲法改正案起草委員会座長だった中谷元衆議員議員の依頼を受けて、 勤務時間中に憲法改正草案を作り提出しました。草案には、自衛隊を「自衛軍」として憲法に明記すべきであり、 現行憲法上許されていない集団的自衛権の行使について憲法改正することによって、これを可能にすべきだと主張するなど, 公務員の憲法尊重擁護義務(憲法99条)に反する行為をしています。これは自民党の憲法改正草案大綱に盛り込まれました。

こう言っておきながら、

>内田 社会保険庁の職員が、日曜日に「赤旗」を配ったことが、 国家公務員法の政治的行為の制限条項違反として起訴されました。あるいは東京板橋の高校の卒業式の開始前に同校OBが 「日の丸・君が代」の強制に反対である旨の発言をしたことに関して、 威力業務妨害罪で起訴されたりしています。卒業式が始まる前に 「君が代のとき皆さん方が立つと座っている先生が処分されるから、立たないで下さい」と呼びかけたのであり、 卒業式そのものには全くといっていいほど支障はありませんでした。昨年末には、東京の葛飾区で、 共産党の都議会報告書を配っていた人を住民が取り押さえ警察に突き出して、これも起訴されています。これらの動きは、 底が通じ合っています。本当に大変な社会になってしまったのだろうという気がします。

こちらでは、「公務員にも自由権がある」と声高らかに謳っているのが、理解不能である。

 

<追録>自民党 「憲法改正草案大綱(たたき台)」の正体と、その撤回について? 本質をどう見るか より 弁護士 坂本修氏の発言

>さらに、小泉本部長という布陣の持つ重大性を痛感します。憲法99条は、国務大臣らに憲法擁護義務を明記しています。 小泉首相は、首相として、もっとも重い憲法擁護義務を持っているのです。それなのに、 現憲法の3原則(あるいは5原則)のすべてを侵害し、憲法原理を逆立ちさせるための改憲策動組織のトップに小泉首相が座るというのは、 決定的違憲行為です。涜職という言葉がありますが、 小泉首相は戦後総理の誰一人もやらなかった明白かつ重大な涜職行為を犯しているといわなければなりません。

では、国会議員ならいいのだろうか。

 

 で、考えてほしいのだが、国会議員も含めた「すべての公務員」が、すべからく、 さまざまな自由権に優先して、この憲法九九条を守らなければならないとするのが「正しい法理」ならば、憲法九六条に規定された 「憲法改正の手続き」など、実行できるのだろうか?当然、無理であろう(※)。したがって、そのような法理など、 憲法九六条の行使を不可能にするという意味で、ムチャクチャな拡大解釈に過ぎないのだ。公務員であろうと政治家であろうと首相であろうと、 一私人としての「自由権」の方が優先されるというのは、左側の人が泣いて喜んだ、小泉前首相の靖国参拝が傍論で違憲と判断された、 例の大阪高裁の判決でも明確に指摘されている。

 

日本国憲法 第96条 この憲法の改正は、 各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、 特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 

05.09.30 大阪高裁の判決

>a 内閣総理大臣その他の国務大臣の地位にある者であっても, 私人として憲法上信教の自由が保障されていることは言うまでもないから,

 

 同様に考えると、信教の自由だけでなく、「思想の自由」とか「良心の自由」と言われる、この憲法第一九条で保証されている自由権も、 当然「私人」としては保障されているだろう。

日本国憲法 第19条 思想及び良心の自由は、 これを侵してはならない。

 憲法九九条が、憲法一九条に定められた思想の自由を上回る「強制力」を持つとして、公務員や政治家たちの「思想・言論の自由」 を叩いてきた「自称リベラル」や「自称人権派」の連中うち、自分自身も公務員である者は、今回の国民投票法案の審議において、 「公務員は国民投票運動をすることができない」という縛りをかけられて、そこかしこで必死にあえいでいる。自業自得であろう。どちらも 「公務員は、ある種の自由権に制限がかけられる」という点では論理的に一貫しているのだから。

 

(衆議院を通過した)国民投票法案(「日本国憲法の改正手続に関する法律」)  第百三条 

国若しくは地方公共団体の公務員若しくは特定独立行政法人 (独立行政法人通則法(平成十一年法律第百三号)第二条第二項に規定する特定独立行政法人をいう。第百十一条において同じ。) 若しくは
特定地方独立行政法人(地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第二条第二項に規定する特定地方独立行政法人をいう。 第百十一条において同じ。) の役員若しくは職員又は公職選挙法第百三十六条の二第一項第二号に規定する公庫の役職員は、 その地位にあるために特に国民投票運動を効果的に行い得る影響力又は便益を利用して、 国民投票運動をすることができない。

 

 自分の身に火の粉がかかってきて、ようやくわかった公務員も多いのではないか。憲法九九条に規定されている「憲法尊重擁護義務」 とは、あくまでも実際の行動における努力目標に過ぎないのであって、一個人としての「内心の自由、思想の自由」を縛りつける拘束力など、 持ちはしないのだと。

 だからと言って、私はこの条項を撤廃せよと主張するつもりもない。公務員の立場利用を禁じること自体は、 私人としての内心の自由の尊重とは別次元の問題だからだ。この法案を、 この角度から日々叩き続けている連中は、この二点を分けて論ずるべきであろう。わざとごちゃ混ぜにして論じても、バレバレだよ。

 

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※ この不条理に対し、「国会議員だけは別」という、これまた不思議な「解釈改憲」が、アレな人の一部によって繰り広げられている。 何度も言うが、「自分たちの解釈改憲だけは正しい」と思える、その傲慢さは、どこからやって来るのだろうか??  それだけ他の国民をバカにできる傲慢さは、どういう種類の精神年齢の低さからやって来るのだろうかね?

 

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2007-04-16

日本は嫌いだが日本円は大好きなユンソナ、それでもちゃっかり日本のテレビに出続ける

 フジ系朝9:55~、「わかってちょーだい」に、ユンソナがしつこく出続けてるなぁ…。料理番組で、 井森美雪に負けずとも劣らない手際の悪さをさらけ出している(主に月、火、10:55~11:10くらい)。

 こんなに日本が嫌いなら、 もう日本で芸能活動なんかしなくていいのに…。

 やっぱりカネ?日本でカネを稼ぎたいのなら、こんなことを言われなくて済むように、バ韓国での発言もきっちり自己管理すべきだろう。 「芸能人」という仕事を何だと思っているのだろうか。

 つくづくバ韓国のバカタレント代表と言わざるを得まい。

 と思ったら、また本国でくだらない言いわけを繰り返している模様。同じことがなぜ日本でできないのだろうか。つくづく、 理解に苦しむ。

 

ユンソナ「親日ではなければ反日という黒白論理残念」 (中央日報 07.04.13)

 反日誤解発言でバッシングが続く韓流スターユンソナ(32)が、白黒論理によって起こった状況に対し、遺憾を示した。

  最近、日本の一部メディアではユン・ソナがSBS金曜ドラマ『恋人よ』(脚本ハン・ジュンヨン、演出カン・ シンヒョ)製作発表会のときにした発言を反日であると問題視し、彼女をバッシングする内容を載せて日本国内で論難を起こした。 これに対して一部では韓流スターユンソナの日本活動に歯止めがかかるのではないかという推測も出ている状況だ。

  会見でユンソナは「日本の番組に出演した際、文化的な違いを感じた。 韓国では教科書に日帝時代の慰安婦たちが体験した胸が痛くなるような話を聞いて育ったが、同じ世代の日本人の友人の中では (こうしたことを)よく知らない人が多かった」と遺憾を示していた。

  ユンソナはまた「日本活動中断は絶対ありえない」と述べた。 スターになって外国を訪れる通常の韓流スターたちと違い、ユンソナは8年前、単身で日本に渡り、自ら基盤を固めて地位を確保したほど、 日本国内の活動には格別の愛情がある。これにより途中下車は絶対ありえないという強い意志表明だ。特にそのときの発言はただ日本国内の親しい友達とかかわりながら経験した個人的な文化的の違いに対するエピソードを話したまでであり、 国家的レベルで歴史的問題を指摘した発言ではなかったという説明だ。ユンソナは「日本で活動する芸能人たちの間では特に “親日ではなければ反日”という決めつけがひどいような気がする。それが非常に残念だ」と本音を明らかにした。続いて 「日本で私を応援してくれるファンがいる限り、日本での活動は続ける」と付け加えた。

  ユンソナはSBS金曜ドラマ『恋人よ』で8年ぶりにテレビドラマに復帰している。

 

 

白河「日本で丁寧に説明できないのならただの『言いわけバカタレント』」

 自分の韓国での発言を「反日誤解発言」と表現するバ韓国人ユンソナが、またもや自国で見苦しい「言い訳」に終始している。

 最近、ユンソナ自身が韓国メディアで、

 「日本で一番多く受ける質問の一つが、『どうして韓国人たちは、 他のチームとの試合には大して関心がなくても韓日戦には熱狂するのか』 というものです。歴史的な脈絡さえ知っていれば、ごく容易に理解できるはずなのに、 そんなことも分からなくて、 『わけもなく日本に負けたくないという劣等感の表れじゃないのか』と聞いてきたときには、腹が立ちました。」

などと、韓国で受けた教育が唯一無二の真実であると信じ込む、「反日洗脳」を全く疑うこともないまま、一方的に日本人に対する 「怒り」を表明しておきながら、

『日本で活動する芸能人たちの間では特に“親日ではなければ反日” という決めつけがひどいような気がする。それが非常に残念だ』と本音を明らかにした。

などと、「私は日本人にオコテルけど、私は反日ではナイヨー、かってに決め付けナイデネ!」という、理屈にならない理屈を「本音」 と称し、自分の言語能力が、単に日本語だけでなく、母国語においてもかなり足りないことを如実にさらけ出した。

 ちなみに、ユンソナが「韓流スター」であるという認識は、残念ながら日本では全く広まっていない。単に 「日本語が下手な外国人天然ボケ枠」の一人である。

 

 

 …あのー、「親日でなければ反日」って、誰が言ったの?頭が悪いのに、自分勝手に議論の枠組みを作り、それをテコにさらに「日本人は決めつけがひどい」という非難を繰り返すのは、「恥の上塗り」だけでなく、 「バカの上塗り」に過ぎないのになぁ。

 それでも、自分のこういう議論の枠組みの正しさや、自分が反日ではないと日本で訴えたいのなら、なぜ日本で同様の発言をしないの? 単なる陰口バカだろ?

 ま、バ韓国人は、困ったらこういう「苦しい議論の枠組み」を作って必死に逃げようとする。 フィギュアでキムヨンナが浅田真央に負けたときも、「日本のカネに負けた!」と平気で言ってたからなぁ、バ韓国の新聞社たちは。さすが、 日本の朝日さんと親しいだけあるよ。レベルがよく似ている(笑)。

 

 バ韓国人のユンソナさんよ、日本で稼ぎたいと思っているのなら、できるだけ日本人に好かれるような工夫をするのが、客商売である 「芸能人」じゃないのかい?内心でどう思っているかは誰も干渉しないよ。芸能人にとって、最大の問題は「見た目」ということを、 改めて知っておくべきだろうよ。

 

 次の一手は、「こんなに私をバッシングする日本人は、やっぱり『韓国人差別』をしている!」だろうな。 しかもこれをまた韓国だけで言うわけだ(笑)。バ韓国人につける薬はないよ、やっぱり。

 

参考記事 

日帝時代の蛮行を知らない日本人って・・・ ?ユンソナの対日意識?
(My Personal Links+ 様) いつもリンクありがとうございます

 

 

 

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甘ったれるのもいい加減にしたら?<最低得票率、最低投票率

 前回の記事に引き続き、 国民投票法案について考えてみる。ただ、今回は「対子ども口調」にはしない。あれは意外と疲れるのだ。

 マスゴミやマスコミ、そしてこのテーマを扱っている多くのブログでは、衆議院を通過した国民投票法案に、「最低得票率」や 「最低投票率」が設定されていないことを問題視したり、考察したりしているようである。どちらの用語も、各自検索して調べてほしいが、 ざっと言えば、

・「最低得票率」とは、投票率に関係なく、「改憲賛成」の「票数」が、「有権者の一定割合」を越えていることを、国民投票成立の条件 (=憲法改正の条件)とすることをおおむね指し、

・「最低投票率」とは、一定の投票率をクリアすることを、国民投票成立の条件(=憲法改正の条件)とすることを、おおむね指している。

 例えば、日本の有権者が8000万人いるとして、「憲法を改正するには最低得票率が50%以上」ということは、投票率に関係なく、 4000万票以上の「改正賛成」の票が必要ということであるし、「最低投票率が50%以上」ということは、投票率が50%未満だった場合、 その国民投票自体が無効、すなわち憲法改正が否決されるということだ。

 ちなみに、現在衆議院を通過した法案では、どちらとも設定されていないし、与党案だけでなく、民主党からの対案にも、 このどちらとも設定されていない。

 

 最低得票率も最低投票率も設定すべきでないのは当たり前である。なぜなら、どちらを入れようとする主張も、 「投票棄権も投票行動の一つ」という発想に基づいているからである。

 投票棄権(すなわち、選挙に行かないこと)とは、政治に参加する権利を自ら放棄していること(参政権の放棄)に他ならない。 選挙において、参政権の放棄をしている連中を、政治的決定(この場合、 憲法改正案が可決されるかどうか)の要素に入れるということの矛盾を、「最低得票率(や最低投票率)を設定しろ!」 と主張している連中(以下、「最低得票率推進派」と呼ぼう)は、理解できているのであろうか。

 言い換えればこうである。選挙の当日に投票に行かないということは、参政権の放棄である。       政治に参加する権利を放棄している連中の票を、実質的に「改憲反対」側の票に入れるということは、       いったいどういう理屈づけがあれば、論理的にも感覚的にも可能なのだろうか。

 要するに、改憲反対派に都合良く「よくわかんない人は投票しなくていいよ?。自動的に反対票にカウントされるから」 というシステムを作りたいだけだろ?

 どこぞのバカなブログでは、「憲法学者も反対してるのに!」などと言っていたが、困ったときに学者に頼むのは、 単に自分の頭で考えることができない、頭の弱い人の常套手段である。学者の意見を聞きたいというのであれば、憲法学者の、 慶応大学の小林節教授の意見を紹介しておこう。

 

(NHKラジオより)

 

>最低得票率等を設定することは、ある投票率を下回ることで、投票行動全てがいきなり無効になるというシステムであって、   民主主義を破壊するものだ。ゆえにこれは良くない。

 少なくとも、「憲法学者」によっても意見が違うということだけは、知っておくべきであろう。いや、わざと隠しているのだろうがな (苦笑)。

 参政権をそもそも放棄している有権者の票は、いかなる理由があっても、 どちらの側にも入れてはならない。それが民主主義ではないのかい?

 最低得票率等を設定することで、参政権を放棄した者の票を強制的に反対票に組み入れ、 なおかつ、ある投票率を下回れば、投票全てがいきなり無効になるという「投票放棄者」を増長させるようなシステムは、民主主義ではない。 これが、この制度の問題点の一つ目である。

 

 

 そして、こういう制度を作ると、「投票自体を無効にしたい」側は得てして「ボイコットキャンペーン」を張るようになる。

 日本でも、実際に地方自治の住民投票で、住民投票自体を無効にするために、投票ボイコット運動があった。06年の、 岩国への米軍艦載機の移転問題に関する住民投票である。この住民投票では、「投票率が50%未満」になれば、 この住民投票自体が無効になるというルールが設定された。そして実際に起こったのである、ボイコット運動が。

沖縄・名護・ 岩国が問う 基地住民投票の系譜(2) ボイコット運動 (沖縄タイムス 06.03.09)

 

 「行かないのも、立派な意思表示です」。岩国駅前で、宣伝カーが呼び掛ける。「住民投票に反対する会」は告示の五日、   初めて街頭でのボイコット運動に出た。

 

 拡声器のマイクを握った広瀬嘉道会長(82)は、「国と対決するやり方は、岩国に大きなマイナスになる。市長に乗せられないで」    と訴えた。

 

 配られたビラには、「このような混乱が長く続けば、岩国も普天間移設に見られる迷走と対立の歴史をなぞることになります」との   “警告”も。

 

 同会の事務局を預かる村田昭人さん(64)は「開票されれば、市民の間にしこりが残る。名護市民投票の轍は踏まない」。   投票率を50%未満に抑え、不成立にすることを目指す。

 

(後略)

 実際にはこのもくろみは失敗し、投票率は6割近く(58.68%)に達した。そして、岩国への米軍艦載機移転に対する、 賛成と反対の比率が

賛成11% 対 反対87% (無効票2%)

となったのである。

 

 注目すべきは、最低投票率を設定したせいで、この投票不成立を狙った側=岩国への移転賛成側がボイコット運動を展開し、 また実際に相当の割合が投票をボイコットしたせいで、賛成と反対の比率が極端な差として表れてしまい、実際にどのくらいの住民が移転賛成で移転反対なのかという、 実際の比率が全くわからない結果になってしまった点である。

 ボイコット運動があったとわかっていて、この上記の結果が、住民の賛成と反対の比率であると、一体誰が信じられるであろうか。 このように、最低得票率や最低投票率の設定は、結果として投票結果の信頼性を、 大きく損なうものになってしまうのである。これが問題の2点目である。

 

 今日の朝ズバでも、コメンテーターの杉尾秀哉と末吉竹二郎が 「投票に行かないというのも投票行動」などとのうのうと語っていた。まあさすがTBSと言うべきであろうが、 コメンテーターがこんなバカ発言を繰り返しているから、今回の都知事選も投票率が6割を越えなかったのではないの?

 投票棄権者も反対票に入れることで、有権者が実際に投票をする(=政治参加する) 動機を低くする。これが、問題点の3つ目である。

 

 

 改憲反対論者は、まさにその名前の通りに、国民投票での改憲を阻止すべく、今から「憲法改正の国民投票があったら、 改正反対の票を入れに投票に行こうね!」というキャンペーンを張るのが、「改憲反対」の正しい姿勢であろうに。前回の記事で指摘したように、 結果として改憲が阻止できればよい、結果として改憲案が通りにくい制度にしておけば…という発想は、単に民主主義を否定している、 きわめて危険な思想であると認識すべきであろう。

 民主主義を掲げる者であれば、民主主義で戦え。

 

 「投票率が20%なら、有権者のたった11%の賛成で憲法が変えられちゃうの?」などという「煽り」を、 今日のみのもんたもやっていたが、どのテレビ局のキャスターも、だいたいやらかしている論法である。

 ひと言で答えておこう。投票率が20%なら、有権者のたった11%の反対で、憲法が守れちゃうのである。今からコツコツと、 護憲の輪を広げていきたまえ。民主主義の危機を本当に嘆くのであれば、「20%という投票率の低さ」をそもそも問題とせよ。

 ちなみに、最近の国政選挙の実際の投票率は、40?65%である。7割を越えたことは、この15年ではほとんどなかったはずだ。 護憲派も改憲派も、この過半数を説得すべく、言論活動を展開すれば良いだけの話だ。さらに言えば、「改憲」も「憲法をどう変えるか」 によって、賛成派が簡単に反対派に変わる。この条件でも、十分に「改憲がしにくい制度」であると明言しておこう。

 

 

 

 以下は蛇足である。

 検索をかけてみたら、こんなページを見つけた。

 

yahoo知恵袋 国民投票法。最低投票率を明記すべきですか??

 

>国民投票法。最低投票率を明記すべきですか??
 
>良し悪しが有ると思います 理由をお教え下さい。

 

 この回答の中にあったもの。

 

>多数決で決めるべきなので、 全有権者の半数以上の賛成がなければ可決してはならないと思います。
>投票に行かない人はそれぞれの事情や思惑があるのですから。
ほんの少数の意見で可決されては迷惑です。
>よって、最低投票率よりも全有権者の半数以上の得票が可決としていただきたい。

 …「投票に行かない人はそれぞれの事情や思惑がある」 ってどういうこと??その日は遊びに行きたいから、選挙より遊びに行くことを優先することも「事情や思惑」の一つなのだが、それも 「改憲反対」の票に入れなければ「迷惑」ということ?????

 要するに、こういうことであろう。「僕たちがもし投票しなくても、その頭数は、 自動的に『反対』に入れておいてね」と。何じゃそりゃ?????

 

 甘ったれるのもいい加減にすべきであろう。こういう発想は、何より、 「反対票を投じる人」への最大の侮辱であるということを「理解」すべきであろう。

 もっと言っておこうか。投票もしないで、 投票結果に文句が言えると思っているから、「ほんの少数の意見で可決されては迷惑」などと平気で言えるのだろうな。 違うというのなら、改憲反対なら反対票を投じれば良いだけの話だ。

 

 次。

 

>明記するべき。
>理由:国民投票と名が付くのなら、 過半数が国民の過半数若しくはそれに限りなく近いものになるべきなので、最低投票率は必要。   そうしないとやりたい放題やられてしまい、   気づいたときには思わぬ結果をもたらされてしまうことも懸念されるから。

 こういう系統の意見って、多いようだね。特にブログなどでは。しつこいが、「やりたい放題やられて困る」のなら、 反対票に投じれば済む話である。他者との対話の中で、投票者の過半数を「護憲」 に説得できないのであれば、甘んじて改憲に納得すべきであろう。こういう人々って、「投票」とか「民主主義」を何だと思っているのだろうか。 とことんバカにしているようだ。

 

 

 さて、こういう「回答」をする人々が、投票率が低下することで、より少ない票で可決されることを恐れるのであれば、 「投票率が低下すれば、より少ない票で否決される」と解釈すれば、これまたすぐに安心できるのに、そうしないのはなぜであろう。 単に頭が悪いのであろうか。それもあるかも知れないが、ホンネはこうであろう。

 「憲法を変えてほしくない」と。

 憲法を変えてほしくない側から見れば、最低得票率を設定しておくことで、当日投票に行かない、参政権を放棄しているバカ有権者も 「反対票」にカウントできるので、単に投票率が低くなるだけで、憲法改正案は否決されやすくなると。

 つまり、最低投票率を設定しようという人たちは、ここでも、有権者の投票行動を軽んじ、 「結果としてできるだけ憲法が変わらないような仕組みを、『手続き法(手続きを定めた法律)』としての国民投票法にねじこもう」 としているだけなのだ。

 「とにかく結果が『改憲阻止』ならプロセスは何でもいい」と甘ったれるのも、いい加減にすべきであろう。

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2007-04-14

朝日新聞を使って、一緒に憲法と民主主義について勉強しよう!<国民投票法案

 やってますね?、朝日さん。温家宝問題に続いて、国民投票法案問題でも突っ走りまくってます。 まずはこの記事をざっと読んでいただきたい。

  改憲の道「なぜ急ぐ」 国民投票法案(朝日さん 07.04.14)

 憲法改正手続きを定める国民投票法案が、衆院を通過した。改憲を参院選の争点にしようと図る安倍内閣にとって、   法案はその地ならしの意味を持つ。専門家は審議の拙速を批判し、原爆や空襲を経験した被害者らは「あきらめてはいけない」と声を上げた。  

◇被爆者ら講義

 「国民投票法案 安倍さんどうしてそんなに急いで採決するの?」。長崎市の平和公園。9日正午過ぎ、   約50人がこんな横断幕を広げて座り込んだ。82年から、原爆の日の8月を除いて毎月9日に行われている「反核9の日座り込み」。   この日で311回目だった。

 列の中に、長崎市の元小学教諭で被爆者の元山寿恵子さん(76)がいた。10年ほど前から、ほぼ毎月参加している。   00年に設立した市民団体「活憲21ながさき」の代表。

 原点には被爆体験がある。爆心地から約2・4キロの自宅で被爆。一緒にいた姉は無事だったが、母親は耳に大けが。   姉の夫は勤務先で爆死し、同級生も失った。

 60年前、憲法ができた時の喜びを今も覚えている。「これで戦争はなくなるんだ」。自由にものが言える喜びも感じた。

 座り込みが何になるのか、という人もいる。しかし、たとえ国民投票になっても9条を守るために、頑張れるだけ頑張るつもりだ。  

 広島市でも13日正午すぎ、被爆者や労働組合関係者らでつくる広島県原水禁のメンバー75人が、原爆ドーム前に集結。   抗議の座り込みをした。

 23年前からドームの水彩画を描き続けている原広司さん(75)も、座り込みに加わった。   この日朝から1905枚目のドームの絵を描き上げた。「ドームはいつもより暗く、寂しい表情だった」

 原爆投下時は現・江田島市の親類宅にいて無事だったが、翌日に広島市内に入って被爆した。   同学年のいとこや学校の友人の多くを亡くした。自身も戦後、大腸がんなどに苦しんできた。高校生から小学生まで5人の孫がいる。   「終戦からたった六十数年。なのに、戦争ができる国に着々と変わろうとしているように見える。孫たちに同じ思いをさせたくない」  

 作家の早乙女勝元さん(75)は国民投票法案を通した与党の最大の狙いは、9条の改変だと考えている。

 12歳で東京大空襲に遭った。一晩で約10万人が死んだ。作品や講演で体験を語り継ぎ、02年に民間募金で設立された   「東京大空襲・戦災資料センター」の館長に就いた。

 憲法改正は再び戦争への道につながる、としか早乙女さんには思えない。「私たちは過去の戦争犠牲者と、   今の子どもたちの声なき声に耳を傾け続けなければいけない」と語った。

◇推進派からも異議

 国民投票法の制定を主張してきた市民グループ「国民投票/住民投票情報室」(村西俊雄代表)は、   衆院憲法調査特別委員会で与党修正案が可決された12日夜、異議を唱える見解を発表した。

 「合理性に富むルール設定が全会一致でなされることを期待したが、選挙などを意識した政党幹部の言動により、   与党のみの採決となったことは極めて残念だ」と批判。内容についても   「公務員が主権者として原則自由に国民投票キャンペーンに参加できることを保障するべきだ。参院で修正され、   衆院に差し戻されて再可決されることを立法府に求める」としている。

 

 あえてどこにも色をつけなかったが、メディアリテラシーを高めるために、ここで問題。この記事におかしな点はないだろうか?

答え:  タイトルと中身が一致していない        (文字を反転させている)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タイトルを読む限りは、「国民投票法案を急いで可決させる必要はない」 という記事に思えるが、中身は「憲法9条を守りたい」って… 失笑を通り越して、面白すぎだよ!

 ここでお兄さん(かどうかは微妙だが)と一緒に社会科のお勉強をしていこう! 「国民投票法案」とは、憲法改正の手続きとしての、 国民投票の方法を定めた法案なんだ。こういう手続きを定めることは、憲法96条にのっとった、れっきとした「正しい」手続きである。 中学校の公民で習ったよね?ゆとり教育世代は、もしかしたら習っていないかも知れないので、ここに貼り付けておこう。

 

日本国憲法第96条 この憲法の改正は、   各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、   特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 なんと、今までの日本には、この憲法第96条でしっかりと明記されている、憲法を改正する際の手続きを定める法律がなかったんだ。 これを、読売産経の社説では 「不作為(やらなければならないことをあえてしないという、 悪いこと)」という表現を使って表している。知っておくと便利な言葉だね。

 ところが、こんな「悪いこと」をやってきたのは、何と!さんざん「憲法を守れ!」と言い続けてきた社民党(以前は社会党) や共産党だったんだ。おかしいね??

 日本国憲法の基本理念(一番大事なこと)は、これも社会科で習ったように、

・国民主権

だよね。つまり、国民が法律や社会制度を決める「最終的な権利を持っている」 、簡単に言えば「一人一人の国民が一番偉い!」ってことだ。 それにもかかわらず、今でも、どれだけ国民が望もうとも、この国民投票をやることができないんだよ (この法案はまだ参議院での審議や採決が残っているから、最終的には成立していないんだ)。

 おかしいね??「国民主権」のはずなのに、今でも、 国民は、憲法を絶対に変えられないんだ。

・憲法96条に、憲法を変えるための条件を示しているにもかかわらず、

・憲法のどこにも、「国民は憲法を変えてはいけない」などと書いていないにもかかわらずだ。

 こんな、「憲法の精神を守らない」ひどいことをしてきたのは、表向きはいつも「憲法を守れ!」 と言い続けている社民党や社会党なんだ。おかしいと思わないかい?

 

 そう!ここに、最初に引用した朝日さんの記事にも共通する、うわべだけの「護憲派(憲法を守ろうとする人々)」の、 ヒミツの考え方が隠されているんだ。

 

 それは何かって?それはね…社民党や共産党を始めとする、「護憲派」の人たちは、

 

 

 

こんな法律を作ると、絶対に国民は憲法を悪く変えるだろうから、こんな法律は作らない方がいい!       

 

と心底から思っているからなんだ。おもしろいね?。そういう自信って、どこから来るんだろうね??

・日本国憲法は大切だ!

・国民主権の考え方は大切だ!

と、日々叫んでいるはずの「護憲派」の人たちは、実は国民の判断を徹底的に疑っているんだよ。 護憲派である自分たちの考え方は絶対に正しい。国民投票で憲法を変えようとする「多数派の国民」は、憲法を変えようとするのだからバカだ!って考えているんだね?。       変えるとしたら、どう変えるかという「中身」の方がはるかに重要なはずなのに、彼らは「そもそも変えようとするのだからバカだ」と考えているんだ。ここも、       とってもとっても不思議な点だね。

 

 日本は、「民主主義」の国なのだから、議論した結果として、国民の多数派がある決断を下したら、 それに従わなければならない国なんだ。何が「正しい」かなんて、人によって違うし、時代によっても変わってくる。だから、あくまでも 「仕方のないこと」として、最終的に多数決をするんだ。だから、今の多数派が、自分の意見と違うときは、一生懸命に、その多数派を「説得」 しなければならないはずなのに、今の大人たちは、「今の多数派はバカだ!」と平気で言ったりするんだね。それが「負け惜しみ」 にすぎないどころか「民主主義の否定」であることもわからずにね。

 だから、「国民の中で、ある人々(もしくは、ある思想を持つ人々)だけが『正しい』 判断を下す能力があり、その他の『多数派』はバカなんだ」という考え方は、「少数意見を大切にしろ」という言い方を借りた「民主主義の否定」 なのであって、民主主義が大切だと思っている人は、絶対に言ってはいけない言葉なんだね。(※)

 君たちのクラスでも、ある人、や5人くらいからなるグループが

「オレ(たち)の考え方がいつも正しいんだから、クラスのルールを決めるときに、必ずオレ(たち)の決定に従えよ。 多数決なんてしたら、必ず「まちがった決定」になっちゃうんだから、 そもそも多数決なんかやらないぜ!

なんて言ってきたら、どう思う?そりゃあ頭に来るよね?「民主主義を守れ!」って叫びたくなるよね?こういうグループは、 民主主義を破壊しようとする、実に危険な連中なんだ。

 

 これと同じことを、社民党や共産党を始めとする、「護憲派」と言われる人たちは、長い間やってきたんだ。国民主権や民主主義を守れ!と言い続けてきた連中が、実は国民主権や民主主義を、       最も軽く考えている連中だったってわけだね。

 

 ここまでわかってから、冒頭の朝日さんの記事をもう一度読んでみよう。あれ?不思議だね。今度はとってもスラスラと読めるでしょ? そうなんだ。こういう記事は、「憲法を変えようとする連中はバカだ!」と思って読むと、 何もおかしくない記事に読めてしまうんだ。

そう。朝日新聞さんも、「憲法を変えようとする連中はバカだ!」って思っているんだね。日本の新聞社で、 これほど国民をバカにしている新聞社はないって、よくわかるね?。信じられないのなら、インターネットで、 他の新聞社の記事も調べてみるといいよ。あ、中日新聞とか北海道新聞あたりは、 朝日新聞さんよりもっと激しく国民をバカにしていることがあるけど、全国紙じゃないからね。そこは気をつけてね(笑)。

 

 正しい道筋で「憲法を変えたくない」と思っているのなら、訴えるべき相手は国会議員ではなく、「主権」を持っている、私たち「国民」 でなければならないはずだね。にもかかわらず、彼らは、「これこれこういう理由で憲法を変えてはならない」と訴えるのではなく、 「とにかく結果として憲法が変わらなければいい」ように、ありとあらゆる手を尽くすんだ。今回のように、いかにも強制的にこの法律が採決されたかのように見せかけるために、採決のときのマイクを奪ったり、 議場で叫んだりすることで、「悪い人が憲法を変えようとしている!」というイメージを作ってみたり、冒頭のような新聞記事を書くことで、 いかにも「国民投票法案を作ろうとする人々は悪人だ」という印象を、 私たちに刷り込もうとするのも、その一つなんだ。

 だから、「憲法なんてしらなーい」とか思っていると、こういう「悪い人々」に、どんどんだまされていっちゃうぞ。気づいてみたら、 知らない言葉を話す、いつも怒っているいや?な人の言うことを強制的に聞かなきゃいけないってことにもなりかねない。 そうならないですむように、ことあるごとに

・民主主義とは何か

・国民主権とは何か

・法律とはどのように作られるのか

ということを考え続ける習慣を、ぜひ身につけようね。それは、クラスの学級会での「決め方の正しさ」 について考えるということと全く同じなんだ。20歳を過ぎている人は、「選挙で投票する」という行為は、 「法律を決める人を決めるきわめて重要な行動なんだ」ということを忘れちゃダメだよ。そこを軽く見ると、いつ、知らない言葉を話す、 いつも怒っているいや?な人の言うことを強制的に聞かなきゃいけない国になるかもわからないし、そもそも、 日本なんていう国さえなくなっちゃうかも知れないからね。

 

(キーンコーンカーンコ??ン♪) きりーつ! れい!!

 

 いやー、完全に「対子ども的口調」になってしまった。こういうことを教えてくれる社会科の先生は、 小中高大全て合わせて、現場にどのくらいいるのだろうか。そこがかなり心配だったりする。私は社会科担当ではないから、 これを読んである意味で焦った人は安心してほしい(何を?)。実際の教育現場には、 朝日さんやきっこみたいなことを平気で言う教師の方がはるかに多いんだろうなぁ…。やばすぎるよ。

ちなみに、こんな朝日さんが、「しゃかぽん」 なる子ども向けの本を発行している。この事実も、恐ろしすぎる。

 

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(※)あれ?似たような言い方をしているブログがあったねー。 「東京都民の多数派はバカだ!」と言っているブログが。こういう人たちって、自分がどれだけ「絶対に正しい」 と思っているんだろうねー?「バカなユダヤ人は皆殺しにしろ!」と言っていたナチスそっくりだよね。歴史から学べない人たちって、 ホントに怖いよね。絶対にマネしちゃダメだよ?

 

当ブログ参考記事 2007都知事選に思う (5) 負け犬きっこの発言でわかる「護憲パラノイア」的発想

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2007-04-13

温家宝、にっこりほほえみながら「総会屋演説」

 明け方のこちらの記事をアップして以降、 温家宝首相の国会での演説の全文を見つけた。前の記事は、主に日本のマスコミやマスゴミでの採りあげ方を中心に長々と書いたので、 こちらでは簡潔に、演説自体の批評をしておく。

 

温家宝首相演説全文 国会演説(中国新聞 共同 07.04.12)

(前略)

中国の古い世代の指導者がかつて度重ねて指摘したように、あの侵略戦争の責任は、 ごく少数の軍国主義者が負うべきであり、一般の日本国民も戦争の被害者であり、 中国人民は日本国民と仲良く付き合わなければなりまぜん。 戦火が飛び散っていたなかで、 聶栄臻元帥は戦場で日本人の孤児(栫)美穂子さんを救助し、自ら世話をし、 そして手を尽くして彼女を家族の元に送りました。 1980年、美穂子さんは家族とともに中国へ行って聶栄臻元帥を訪ねました。 この話に多くの人々が心を打たれました。戦後、 2808人の日本人の子供たちが中国に置き去りにされ、残留孤児となりました。 戦争の苦痛をなめ尽くした中国人が彼らを引き取って、 彼らを死の危機から救い出し、育てあげました。中日国交正常化の後、 中国政府は孤児たちの肉親捜しに大きな支援を与えました。 現在までにすでに2513人の日本人孤児が日本に戻りました。 彼らの多くは帰国後に、「中国養父母謝恩会」 などのような民間団体を自発的に設立し、中国で養父母たちの共同墓地と 「中国養父母感謝の碑」を寄付・建立しました。 その中に次のような碑文が書かれています。 「中国養父母の人道的精神と慈愛心に深く感謝し、ご恩を永遠に忘れません」と。

(中略)

>中国政府と人民は従来、未来志向を堅持し、一貫して歴史をかがみとして、未来に向かうことを主張しています。 歴史をかがみとすることを強調するのは、恨みを抱え続けるのではなく、歴史の教訓を銘記して、 よりよい未来を切り開いていくためであります。中日国交正常化以来、 日本政府と日本の指導者は何回も歴史問題について態度を表明し、侵略を公に認め、そして被害国に対して深い反省とおわびを表明しました。 これを、中国政府と人民は積極的に評価しています。日本側が態度の表明と約束を実際の行動で示されることを心から希望しています。 中日両国は和すれば双方に利益をもたらし、争いあえばともに傷つきます。 両国人民の子々孫々にわたる友好を実現することは、歴史の流れと両国人民の願いに完全に合致し、 アジアと国際社会の切実な期待でもあります。

(後略)

 おぉ~、やってるやってる、「雪解け」などとにっこりほほえみながら、「中国の考え方を日本にしっかり押しつける総会屋演説」を。 さすがジャイアン。

 

>中国の古い世代の指導者がかつて度重ねて指摘したように、あの侵略戦争の責任は、 ごく少数の軍国主義者が負うべきであり、一般の日本国民も戦争の被害者であり、中国人民は日本国民と仲良く付き合わなければなりまぜん。

 ハア?戦争責任をどういう枠組みで捉えるかを、外国に要求される筋合いなどどこにもないのだが。ここで「ハッキリ」 と要求しているね。「侵略戦争の責任は、軍国主義者が取れ!」と。

んでもって、「軍国主義者が祭られている靖国神社には、未来永劫、絶対に行くな!」と持って行きたいわけね。

 あんたら中国の指導者ががっつり反日教育をやったせいで、当の「中国人民」は、前の記事で紹介したように、こんなふうになってるがね。 押さえられるのかね?

 

>「日本の国連安全保障理事会常任理事国入り断固反対!」「お笑いだ」「譲歩しすぎだ」

>プレス発表が、「日中双方」は歴史を直視するとしたことも、「違う。日本は直視しなければならない、だ」などと批判された。

>当局から目をつけられる危険がほとんどない単純な中傷、反日言論は、相変わらず目立ち、「小日本」「日本鬼子」 などの蔑称も飛び交っている。

>「風格ある首相が小日本にさとす」的な表現も多い。

>「日本のいいところをもっと宣伝すべきだ」という意見は集中的に批判を浴びていた。いま、公的メディアが、 日本のプラス面を積極的に宣伝している状況にもかかわらず、だ。

>ネット上には「抗日戦争映画をたくさん見たせいか、日本は信じられない」との書き込みもあった。

 

 自国民を押さえられもせずに、「こういう枠組みで歴史認識を捉えてくれれば、中国政府は(自分たちが作ったクセに) 反日世論を押さえ、日本と今以上に友好関係を築いてやる」などという「交換条件の雰囲気」を醸しだし、 無責任に他国の戦死者の祀り方に口を出すなよ。中国政府の発想は何も変わっていないな。

 

>中日国交正常化以来、日本政府と日本の指導者は何回も歴史問題について態度を表明し、 侵略を公に認め、そして被害国に対して深い反省とおわびを表明しました。これを、中国政府と人民は積極的に評価しています。 日本側が態度の表明と約束を実際の行動で示されることを心から希望しています。

 

 「日本側が態度の表明と約束を実際の行動で示すことを希望する」とはどういうことだ?少なくとも中国政府と人民は、さらに何かしてもらうことを希望しているという意味で「何かが不満だ」 と解釈せざるを得ないのだが。

 ということは、「評価」してないじゃないか(笑)。本当に評価しているのなら、こんなことを発言する必要などどこにもないだろうに。

 読めば読むほど自己矛盾している演説である。これも、さすがジャイアンだと感嘆せざるを得ない。

 

 演説後、例によって加藤紘一が「歴史問題を中心にしゃべったなという感じ。 前向きに取り組んでいこうという意味で、練りに練った演説だという気がします」などと評していたが、 どこをどう練っていたのだ?練っていたとするならば、

・中国は何も明確に要求していない(=内政干渉していない

かつ

・日本が歴史認識問題で、自主的に中国に妥協する

という、「中国が、何の交換条件も示さずに、日本からの一方的な妥協を引き出す」演説のためだろ?

 

 こういう言葉の選び方をする中国政府にいくらしっぽを振っても、 例えば中国が日本の国連常任理事国入りに賛成するわけなどなかろうに。誰も何も公式に言っていないエサを、 勝手に自分の頭の前にぶら下げて走っても、

お前、何一人で走ってんの??

って笑われるだけだぞ。

 

 ふう。毎回、このくらい短く書きたいものだ。

 

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中国政府と人民に歴史認識を「評価」していただくことが「日中友好」なのですか?

それは「友好」などではなく、昔世界史で習った「冊封体制」 に向けた布石にしか見えないのですが…(苦笑)。

 

 中国の首相が日本の国会で初めて演説したことを、おおむねどこのメディアも「日中友好へのステップ」 として位置づけているようである。例えば、ここでは、これ系のネタではいつも常連となっている朝日さんのヘッドラインはこれ。

中国・温首相、「日本の反省評価」 国会演説(朝日さん 07.04.12)

 中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相は12日午前、中国の首相として初めて国会で演説し、今後の日中関係について「戦略的互恵関係の新たな局面」を切り開く必要性を強調した。日本による 「侵略戦争」 が日中両国民に大きな被害を与えたとしながら、日本側の「反省とおわび」 を中国政府が 「積極的に評価している」と明言した。

(後略)

 「戦略的互恵関係」とは、時事通信によると、

「地域の安全保障や経済、環境、エネルギーなど幅広い分野で、共通の利益を目指すという日中両国の関係」

とのこと。

 んでもって、私の抱く最も重要な疑問は、「共通の利益を目指す」ときに、お互いの発言権に差があっていいのかい?ということである。 お互いの発言権に差があるような関係でありながら、「共通の利益」 を目指すとは、さながらジャイアンが、

「のび太??、二人でアイス買おうぜ???!カネは半分ずつだ??。オレとお前で60円ずつな??!」

のび太、おそるおそる60円を出す。ジャイアン、120円でアイスを一つ買う。ジャイアン、先にアイスを食って、 のび太にカップを渡す。

「……ジャイアン、ほとんど残ってないんだけど。」

あ゛あ゛??オレの方が体が大きいだろうが??。だからそれが『は・ん・ぶ・ん』 だろぉ?」

「ジャイアン??!それを先に言ってよぉ??!」

「うるせー! 『はんぶん』を決めるのはオレだ!##」

 

という状態のことであるはずなのだが…朝日さんは例によって気づいていないらしい。いや、「ジャイアン中国に逆らわない方が、 最終的には、必ずや、日本の国益になる」と心底から思いこんで疑っていないor思いこもうと必死なのだろうな。

 

>日本による「侵略戦争」が日中両国民に大きな被害を与えたとしながら、日本側の 「反省とおわび」を中国政府が「積極的に評価している」と明言した。

 

 うーん、さすが朝日さんらしい。「明言した」という言葉を強く読み上げたいのだろうな。んでもって、

「中国が『評価』してくれたよ!日本、がんばったね!これからもこの調子で、ジャイアン(中国)にもっともっと『評価』 してもらえるようにがんばろうね!」

と「応援」でもしたいのだろう。その証拠が昨日(12日付)の朝日さんの社説である。

 

日中会談― 相互訪問を定着させよ(朝日さん 07.04.12)

 「新たな高みへと発展させていきたい」と安倍首相が言えば、温家宝首相も「安定的な軌道に乗せる必要がある」と応じる。

 6年半ぶりに日中首脳の相互訪問が再開された。東京での会談で、2人の首相は口々に関係修復への積極的な言葉を連ねた。さらに、 安倍首相は年内に訪中する考えを表明した。

 小泉前首相の靖国神社参拝をめぐって険悪になっていた日中関係が、 ようやくここまで戻ってきた。一時は国交正常化以来、最悪の状態とまで言われた両国の関係だ。今回の会談や合意は、昨秋の安倍訪中で扉を開いた関係改善の流れに勢いをつけるものであり、歓迎する。

 だが、懸案がなくなったわけでは決してない。温首相は歴史問題でクギをさすことも忘れなかった。 「今年は日中戦争70周年にあたる。歴史問題を善処することが非常に重要だ」。靖国神社参拝を牽制(けんせい)しての言葉だろう。

 一方、安倍首相は日本の国連安保理常任理事国入りへの支持を求めたが、明確な回答はなかった。

 両国の間にはなお、重要な問題をめぐっての懸念や見解の相違があることを忘れてはならない。

 それでも、互いの利益が一致するテーマを数多く並べ、 それをめぐる共同作業を通じて日中関係を発展させていくことで合意したことの意味は大きい。

 省エネなどエネルギー分野と環境保護の分野で協力を強化するための二つの共同声明もできた。温室効果ガスの排出規制をめぐって、 京都議定書のあとの枠組みづくりに中国が積極的に参加するとの表明もあった。

 急速に発展する中国にとって大きな利益のあることだし、日本が得意とする技術分野でもある。 関係修復のための目玉事業に位置づけたのは納得できる。

 日本側に不信感が強い中国の軍事については、中国国防相の訪日や艦艇の相互訪問など防衛交流を深めることが合意された。 透明性を高め、相互不信を除いていくために、欠かせない措置だ。 これを手はじめに、さらに交流を広げていくことが急がれる。

 歴史問題などについてのわだかまりは一気に消えるはずもない。温首相は日本滞在中、記者会見を予定していない。 歴史認識などの微妙な問題のやりとりが、双方の国民感情を刺激しないように慎重に構えたのだろう。

 だが、こうした問題をいつまでも避けて通るわけにいかない。時間はかかるかもしれないが、 共同の歴史研究や若者交流などを通じて相互理解を深め、 信頼を築いていくことが必要だ。

 双方の政治家が互いにナショナリズムをあおる愚は繰り返すべきではない。

 再出発の土台はできつつある。着実に首脳往来を積み重ねていくことだ。 日本側が要請した胡錦濤国家主席の訪日も、ぜひ実現させてもらいたい。

 

 真の「相互的互換関係」の構築のためには、「平等な発言権」が前提条件として必要不可欠であると、私などは思うのだが、 この社説のどこをみても、そんな指摘は見あたらない。赤くした部分を中心に見えてくる朝日さんの価値観は、

日中友好=(・∀・)イイ!!

のみである。この社説が書かれた「前」に行われた日中首脳会談でも、温家宝首相がこういう発言をしていたはずなのだが。

【 日中首脳会談の要旨 歴史問題 】(読売本誌より)

温首相 歴史問題は、民族の感情と日中関係の基礎に関わる問題で重要だ。 うまく処理できなければ、両国関係の障害となる我々が「歴史を鑑(かがみ)にして」と言うのは、過去にこだわっているわけではない、 「歴史カード」を切っているわけでもない。

安倍首相 平和国家として歩んでいくことが、私の気持ちであり、歴史認識そのものだ。 これからも変わることはない。

 

 私なんぞには、

>(歴史問題を)うまく処理できなければ、 両国関係の障害となる

という発言と、

我々が「歴史を鑑 (かがみ)にして」と言うのは、過去にこだわっているわけではない、「歴史カード」を切っているわけでもない。

という発言は、明確に矛盾しているようにしか読めない。あくまでも、歴史問題を処理する側であるのが日本であればと言う前提つきだが、 この前提を外し、歴史問題を「両国」でうまく処理しようとする温首相の発言であったと解釈するには…国会演説における

「日本政府と指導者は、何回も歴史問題について態度を表明し、侵略を公に認め、被害国に深い反省とおわびを表明した。 これを中国政府と人民は積極的に評価する」(ソースは産経

この「評価する」という言葉づかいからして、ありえないことだろう。

 

 だとすれば、日中首脳会談の段階から、温首相の発言は、 少なくとも歴史認識問題においては整合性のない発言をしており、

・中国は歴史問題を「外交カード化」しているわけではない。

・歴史問題については、日本側がうまく処理すべきだ。

のどっちとも解釈できるような状態のまま、「戦略的互恵関係」なるものを作ろうとしているということになる。

 にもかかわらず、朝日さんは、上記のような「友好マンセー」な社説だったわけだ。ま、それが朝日クオリティだから仕方がないのだが、 事実は事実としてここで確認しておく。

 

 …朝日以外のマスゴミさんも、この程度のことにはしっかりツッコミを入れ、「後で、歴史問題をテコに、 他分野で日本に譲歩を求めるような可能性はある」程度の指摘はしておかなければなかろうに。その程度の指摘がすらすらとできて、初めて中国も、日本に対して「整合性のある発言」 を心がけるようになるわけで、少なくともそういう関係が作れなければ、永遠に「戦略的互恵関係」 など作れないのではないのかい?

 このあたりをかすっていたのは、メジャー紙の中では意外と毎日新聞のみであった。

社説:日中関係 首脳交流を定着させよう(毎日 07.04.12)

>今年は日中戦争の勃発(ぼっぱつ)から70年に当たる。温首相が歴史認識の問題で「善処が必要だ」と指摘し、安倍首相が 「平和国家として歩むのが私の認識そのものだ」と答えたのも、 この問題がなお両国民の間に摩擦を生じさせかねないデリケートな問題であることを示している。

 

 産経は、歴史問題以外のところで、中国に対する警戒感を示している。

【主張】日中首脳会談 互恵の道筋をより明確に(産経 07.04.12)

(前略)

 こうした中で、「互恵」関係の行方を占う象徴的な問題として注目されたのは、 両国の資源開発をめぐる利害が対立する東シナ海の石油ガス田開発だった。この問題では政府間協議を加速し、 今年秋に共同開発の具体的方策について報告を受けるという。

 昨年の訪中では「東シナ海を平和・協力・友好の海とするため対話と協議を堅持」 することが共同プレス発表に盛り込まれた。 しかし、政府間協議は平成16年以来、すでに7回行われたが、解決の糸口は見えていない。

 その間、中国側は17年に日中中間線付近にある白樺ガス田(中国名・春暁) と中国浙江省間の海洋パイプラインを完成させた。 昨年の安倍首相訪中直後の11月には、採掘施設「八角亭」のやぐらで炎が確認された。 試掘あるいは生産に向けた活動とみられ、 政府は中国側に抗議したが、中国側は「正当な開発活動」と反論している。

 「平和の海」といって握手をしたあとでも、中国側は着々と開発を進めてきた。 協議に期限を設けた点は前進だが、 中国側の基本的な姿勢に変化が生じるのかどうかはまだ分からない。

 今後は中国国防相の来日などを通じた防衛交流も進展するだろう。 安全保障面での信頼醸成は不測の事態の防止に有意義だが、 中国海軍の艦船は自国の権益を誇示するようにガス田開発地域にも出没している。

 こうした行動が続く限り中国の脅威は消えないし、互恵の実も見えてはこないだろう。

 

ごもっともな話であるが、歴史認識についての温首相のあいまいな発言については、社説でのツッコミはなかった。

 

 そんなわけで、まとめとしては、「評価する」などという「上から目線」で国会で平気で演説しておいて、「戦略的互換関係」あるいは 「雪解け」とは、日本も中国に随分と足下見られてるんじゃないの?ということである。歴史認識問題に関しては、相も変わらず「日本:改める側 中国:評価する側」という構造を残したまま、他の分野で 「戦略的互恵関係」とは…それは単なる、ジャイアン中国を君主とする冊封体制づくりの一環に他ならないとしか、 言いようがない。

 

 ここまで読んで、「だって中国は『被害者側』なんだから、日本の歴史認識を『評価』するって言ったって問題ないじゃないか! こういう日本の姿勢が中国や韓国を怒らせ、逆に日中の友好を阻害しているんだ!」などという、きわめて「リベラル」or「朝日さん」or 「きっこ」的な見解をお持ちの方は、以前に書いたこういう記事をお勧めしておく。

日本のマスゴミや中韓が使う「解釈の強制装置」(前編)

日本のマスゴミや中韓が使う「解釈の強制装置」(後編)

 『被害者』だからといって、『歴史については何でもフリーハンドで解釈権がある』という姿勢を許していると、 長期的に見たらとんでもないことになるよ。現に竹島問題は、バ韓国によって「韓国併合問題」と見事に同一化されているし、 東シナ海ガス田についても、こちらのブログ様などを読んでも、一進一退、実にもどかしい展開を繰り返している。

中国が、「靖国」 など歴史カード不使用(遊爺雑記帳 様)

 

 最後にご紹介するのが、読売の記事。当局が管理しているはずの中国のネット掲示板では、反日的な意見が多数寄せられているそうだ。

 

対日友好ムードのメディアVSネット掲示板には反日世論(読売 07.04.12)

 【北京=杉山祐之】中国の温家宝首相の訪日で、 共産党政権の指導下にあるメディアが一斉に対日友好ムードを打ち出しているのに対し、インターネット掲示板には、 反日的な意見が多数寄せられている。

 そこでの対日不信は相変わらず強く、日本と握手した温首相を暗に批判する声さえ出ている。 「当局の世論誘導」(北京の知識人)の裏で、中国の対日世論は、なお非常に不安定な状況だ。

 温首相の国会演説があった12日、大手ニュースサイト掲示板には、1分間に何本というペースで書き込みが入ってきた。 各サイトでは日中首脳会談が行われた11日夜から書き込みが続いている。

 「日本の国連安全保障理事会常任理事国入り断固反対!」「お笑いだ」「譲歩しすぎだ」――。 中国が国際社会での日本の役割拡大に期待を表明した共同プレス発表の国連改革の項目に何人もがかみついた。 ちょうど2年前の2005年4月、中国各地で吹き荒れた反日デモで多くの中国人が「日本の常任理事国入り反対」を叫んだ。 デモは当局に封じられたが、強い感情が残っている。

 プレス発表が、「日中双方」は歴史を直視するとしたことも、「違う。 日本は直視しなければならない、だ」などと批判された。

 現在は、「当局のネット監視網が整備され、不用意な発言はできない」(知識人)状況にあるとされ、 直接の政権批判はほとんどない。「政権転覆を扇動した罪に問われる可能性がある」(中国筋)反日デモ呼びかけも見られない。ただ、 日中首脳間合意に対する非難は、実質的に温首相非難の意も含んでいる。

 当局から目をつけられる危険がほとんどない単純な中傷、反日言論は、 相変わらず目立ち、「小日本」「日本鬼子」などの蔑称も飛び交っている。

 もちろん、温首相の今回の訪日を高く評価する声も非常に多い。だが、「風格ある首相が小日本にさとす」的な表現も多い。

 互恵関係の重要性を説く声も少なくない。その一方で、 「日本のいいところをもっと宣伝すべきだ」という意見は集中的に批判を浴びていた。いま、公的メディアが、 日本のプラス面を積極的に宣伝している状況にもかかわらず、だ。

 複数の知識人は、「中国の対日世論を真に安定させる条件は、当局の宣伝ではない。報道、言論の自由だ。 多角的な情報を自由に得られ、何でも自由に発言できる状況を作るしかない」と口をそろえる。

 ネット上には「抗日戦争映画をたくさん見たせいか、日本は信じられない」との書き込みもあった。

 

中国での反日教育の「ツケ」ということだね。こんなジャイアン国家と、国家として「友好を深める」必要を私は全く感じていない。 必要最小限の関係で良かろう。

 

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2007-04-12

情報が不十分なまま「悪者」を仕立て上げる、みのもんたと岸井成格と小宮山洋子

 現時点で事実として報道されていることを最も簡潔に言えば「留年を脅されて自殺した女子大生のゼミ担当准教授が懲戒免職となった」 ということである。

 

「留年通告」ゼミ生自殺、高崎経済大准教授を懲戒免職(読売 07.04.09)

 群馬県高崎市の市立高崎経済大学の女子学生(20)が1月に自殺し、大学は9日、ゼミで教えていた経済学部の男性准教授(38) が「理不尽で教育的配慮を欠いた留年通告をした」などとして同日付で懲戒免職処分にした。

 大学によると、女子学生はゼミに2006年9月から参加するはずだったが、自主的に早めて6月ごろから参加。 准教授は8月にゼミ学生に課題を出し、12月に提出していない女子学生ら3人に、 「1月15日までに課題を出さないと即留年」 というメールを送った。自殺当日となった同15日には、 未提出の2人のうち女子学生だけに催促のメールを送っていた。

 課題は、アダム・スミスの重商主義批判の論点を説明させるなど10の設問から五つを選んでリポートするのと、 新聞社説10本の要約とそれについてのコメントをまとめるという内容。大学側は「大学院生並みの厳しい課題。 ある課題がこなせなかったというだけで即留年というのもおかしい」としている。また、准教授は、 他の学生に対しても人格を否定するような暴言やセクハラ発言などがあったという。

 女子学生は1月15日夜、同県みどり市の橋から川に飛び込んだ。准教授に最後に送ったメールには 「出来損ないの面倒を見させてすみませんでした。お世話になりました。ゼミ楽しかったです」とあったという。

 准教授はこれまでの取材に「はじめから処分を前提とした大学の調査。『留年』と言っただけで辞めさせられては、教育にならない」 と反論していた。

 

高崎経済大懲戒免職の准教授 以前も処分 (日テレニュース24 07.04.10)

 群馬・ 高崎市の高崎経済大学の女子学生が今年1月に自殺したのはゼミで指導をしていた男性准教授(38)による留年勧告が原因だったとして、 大学側は9日、この准教授を懲戒免職処分にした。准教授は、以前勤務していた大学でもトラブルを起こし、停職処分を受けていた。

 高崎経済大学によると、今年1月15日に経済学部2年の女子学生(20)が川に飛び込み、自殺した。この女子学生は、 准教授のゼミに参加していて、去年8月に出された課題を去年12月になっても提出しなかった。このため、 准教授は女子学生を含む未提出の3人に対し、「1月15日までに課題を出さないと即留年」とのメールを送り、 自殺した1月15日にも女子学生だけに催促するメールを送っていた。自殺をほのめかす女子生徒の返信メールに対し、准教授はさらに 「連絡しなさい」「命令です」と素っ気ない返信メールをしたという。

 准教授は、05年まで勤務していた茨城大学でもトラブルを起こし、 停職処分を受けていた。指導していた学生の休学届に対応しなかったり、学生ともめたりして指導を放棄していたという。 さらに、勤務時間中に無届けで20回スポーツジムに通っていたことが、処分の理由だった。准教授はこの後、依願退職している。

 高崎経済大学・木暮至学長は、会見で「以前、問題を起こしていることは、採用の時点ではわからなかった」と話している。また、 准教授は、ゼミの学生に対し、「(“女”という字を書かせて)字が崩れているから、お前の人格も崩れている」「 (キャミソールを着ていると)お前はピンサロ嬢か」などの暴言を繰り返していたという。

 一方、准教授は「亡くなった学生は 気の毒に思います。催促のメールは未提出の学生全員に出した。 ほかの学生は2月までに課題を提出できています。だから、勉強すればできるはずでした」とコメントを出している。

 女子学生の祖母は、日本テレビの取材に「処分されたところで孫は戻ってこない」と語っている。

 

 2ch等のアングラ情報も見た上での今の印象としては、この事件には、まだ明らかになっていない、あるいはあえて隠されている、 あるいは当人たちにしか知りえない要素がありそうで、コメントが難しい。

 例えば、

・担当学生が自殺して担当教員が「懲戒免職」ということが私には不自然に思えたり、

・この女子学生は、実際には締め切りまでに何度もレポートを提出したが、この准教授が満足する水準に至らなかったせいで 「受理されていない=提出していない扱い」となっているというアングラ情報があったり、

・この教員に関する様々な風評が不可解だったり(厳しいとか変人とか厳しくないとか、整合性が感じられない)、

など、随分とモヤモヤした印象を受ける。そもそも最大の不思議は、たとえエキセントリックあるいは厳しい教員だったとしても、 この大学のゼミの選択は自由意志に基づくものだったのだから、自分が好きで「変」な教員のゼミに入り、 そのゼミで厳しい扱いを受けたとしても、それが原因で自殺をするのはなぜなの?ということである。 この教員のゼミが厳しいとわかっていて選択したのであれば、彼女の自殺という行為は「厳しさにくじけて」という方向よりも、むしろ 「愛憎関係」にもとづくもの、という可能性を強く感じる。

 

 ではなぜここでこういう微妙なネタを採りあげるかというと、また例によってあの朝ズバで、みのもんたと愉快な仲間たちが、 自分勝手な偏向報道で暴走してご満悦だったからである。

 朝ズバでは、一通りの経緯を紹介しながら、特にこの女子学生がまじめで、この教員に必死について行こうとしながらもうまく行かず、 最後は「自殺します」という主旨のメールをこの教員に送っておきながらも、この教員は「適切な対処」を取らずに、

「私と連絡しなさい。これは命令です。」(を英語で…この教員と学生は、英語でメールをやりとりすることになっていたようである)

などというメールを送っただけで、みすみす彼女の自殺を許してしまったという流れでこの事件を紹介していた。

 ここで出てきたみのもんたの発言が奮っている。

「教員は『ちゃんと勉強していればできた課題だ。決して難しくはない。』とか言っているが、この教員はおかしい!難しいかどうかは、課題に取り組む学生が判断することであって、教員側が言うことではない!

…はい?学生が「この課題は難しい」と苦情や悲鳴を上げたら、大学教員は課題を易しくしなければならないとでも?? そもそも教員が、 ある課題を難しいとか易しいとか評価することが「おかしい」ことだと?

 この日のコメンテーターが、またタイミングばっちりに岸井成格と小宮山洋子である。

岸井「この学生が自殺をほのめかしたときに、打てる手を打つべきでしたね。 教育者失格ですよ。」

小宮山「これってパワーハラスメントですよね。やはり教育者失格ですよ。」

…その「打てる手」って、この文脈ではどういうこと?学生が自殺をほのめかしたらすぐに警察に連絡しろと?それとも

「私が悪かった。課題は受理したことにするから」

などと、態度を甘くすべきだったということ?だとしたら、これからは学生は、課題が大変で留年しそうになったら、 教員に対して自殺をほのめかせばいいということになるな(笑)。

 そりゃぁ普段から日本の大学教育の甘さを批判しているマスゴミらしくもない。ことあるごとに「大学は入りやすく、 卒業しにくくするべきだ!」と叫んでいるマスゴミの方々の発言とも思えない。

 

 話を元に戻すが、大学生がメールで自殺をほのめかしたら、すぐに態度を甘くしたり、警察に連絡しないと「教育者失格」 の烙印を押されるとは…現代日本の「常識」とは、その辺にあるのか。この辺が私には全く理解できないのだ。

 少なくとも、この教員は、学生が自殺をほのめかした時点で「私と連絡を取りなさい」と強い調子で指示を出している。 彼の人格や教員としての適切さにはいろいろ議論があるだろうが、それ以前に、この時点で、 この女子学生がいつもと違う状態であったことを認識し、連絡を取ろうと行動していることは認めるべきであろう。

 しかし、そういう細かいところは一切見ずに、

「適切な手を打たなかったから教育者失格」

とは…要するに、ただ「自殺者が出たら担当者が全て悪い」と言いたいだけではないの?

 

 小宮山も、「パワーハラスメント」という言葉を使いさえすれば、この教員の行動を論評できた気になっている点が、 相も変わらず救いようがない頭の悪さである。コメンテーターとして偉そうにこの事件を論評したいのなら、 この教員のどのような点がパワーハラスメントなのかをしっかり説明しなければならないだろうに。

 専門用語さえ出せば視聴者を説得できた気になっているバカかね? やっぱり?それが小宮山クオリティなんだろうなぁ、やはり(嘲笑)。

 しかし、こんなバカが、衆議院の、「青少年問題に関する特別委員会  委員長」 を努めているんだよなぁ…。こんなバカに、青少年問題を仕切る資格があるのかね?この事実の方が末恐ろしさを感じる。

 

 そもそも、自ら選択したゼミの課題が難しく、提出した課題が教員の要求水準を満たしていないから落第=留年であると言われ、 留年がいやだから自殺したという、今回の女子学生の行動の不可解さに切り込む報道はほとんどなされていないままに、ただ

・教員側が課題の難易を判定するのはおかしい。判定する権利は学生側にある(意味不明)

・学生が自殺をほのめかしたら、教員はすぐに「適切な対応」を取るべきだ。←「適切な対応」の意味を明らかにしないままに

などと勝手な基準を設定し、通り一遍にこの教員を加害者に仕立て上げようとする。何度も言うが、これが、現在のマスゴミクオリティなわけである。(特にTBSか)

 

 朝ズバでは、自殺した学生の家族の声も伝えていた。曰く、「娘を帰してほしい」とのこと。 スタジオではみのもんたの深いうなずきと共に、「そうだそうだ!」という雰囲気をしっかり醸し出してから次の話題に進んだ。

 自殺した女子学生を、情報がまだまだ足りない現時点で悪く言うつもりもないが、情報が不十分な段階で、何の躊躇もなく自殺者を「100%の被害者」に祭り上げようとする姿勢。 情報が足りない段階で、「あっちが悪い」「こっちが悪い」などと、勝手に事件の構図を決め付け、勝手な「『加害者』糾弾大会」 に仕立て上げようとする現在のマスゴミ。こういう現状の方が、自称リベラルが目くじらを立てる石原都知事の発言や日の丸・ 君が代の強制よりかは、よほど「あの時代」へ戻る要因としては大きいと私などは思うのであるがどうであろうか。

 あぁ、「あの時代へ」というより、単に「バ韓国化」と言った方が早いか(※)。あのバカ国家の、 最も愚劣な部分のマネをする必要などなかろうに。

 

当ブログ参考記事

2/7、国会での小宮山洋子の「言葉狩り」 の「狩人」ぶりを鑑賞する

小宮山洋子って、少なくともあの石原慎太郎よりはよほど有害な政治家だと思うのだがね。 賢しげにわかったようなことを言いたいだけなら、国会議員などやめて、ただブログでも書いてればよかろうに。 バカが立法権を持っていることほど恐ろしいことはない。

 

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※ 竹島や従軍慰安婦を巡るあのバカどもの動きを見れば、単に被害者面すれば何でも許されると思っている、彼らの最も救いがたい 「文化的心性」とでも呼ぶべき側面が見えてくる。そんな事例は、このブログで「バ韓国」「盧武鉉」「反日」 あたりで検索をかければいくらでも出てくるくらいアーカイブしている。代表的なものも貼り付けておこう。

韓国の地下鉄駅に貼られている"Fuck Japan"展

やはりというか何というか… 日韓首脳会談

やっぱりあの国は・・・

こうして四等国は国民を洗脳してゆく

懲りないバ韓国人、何と「表彰」だってさ! <不法逃走漁船問題

などゴロゴロ

 

 

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2007-04-11

2007都知事選に思う(5) 負け犬きっこの発言でわかる「護憲パラノイア」的発想

 都知事選が終わった後の方が、言いたいことをブログで自由に言えるというのは不思議な状況だ。そろそろ法務大臣あたりに、 ブログと公職選挙法の関係をはっきりさせてもらいたいものである。まぁブログレベルを公職選挙法の監視範囲に入れようとするのであれば、 それこそ「言論の自由」の観点から強硬に反対するが。

 さて。選挙前に、威勢良く「石原慎太郎はレイシストだ!」的な誹謗中傷した後で、表向きには「公職選挙法違反」 という理由でその誹謗中傷記事を削除したきっこ(その記事のキャッシュはこのウェブ魚拓から) が、選挙後に一体どんな「負け犬の遠吠え」をしているのかと思って覗いてみたら…。あまりにも哀れな「吠えざま」に、失笑を禁じ得なかった。 と同時に、その吠え方に、「戦後護憲パラノイアのステレオタイプ」とでも呼ぶべきものがありありと浮かび上がっており、しみじみと感じた。

あぁ、「こういうヒトもいつかはわかる日が来るだろう」という期待は、抱くだけ無駄なのだろうなと。

 

きっこの日記 「東京都民の良識」 より

>この結果を見れば分かるように、この国の総理大臣も東京都知事も、引き続き、 「核兵器の保有」を謳い、戦争ができるように憲法を変えようとしてる人間がつとめることになったってワケだ。だけど、 それが民主主義ってもんなんだから、多数決で勝てば、人間同士が殺し合う戦争を「感動的」 だと賞賛し、「日本も優秀な戦闘機を作ってどんどん海外に輸出すればいい」なんて言ってる人でも、 東京都知事を続けられるってワケだ。つまり、多数決で勝ちさえすれば、 「平和」よりも「戦争」が「正しい」ってことにもなっちゃうワケで、あたしたち「平和」 を願う少数派は、また4年間もガマンしなきゃなんない今日この頃、皆さん、 いかがお過ごしですか?

 

 これだけ、「あちら側のヒト」の基本的な発想がシンプルに述べられている文章もそうそう見たことがない。その意味でこの文章は、 現代日本の左側の人たちの発想を象徴する、「時代を象徴する文章」の一つであると、まずは賞賛しておこう。

 赤字の部分を箇条書きに抜粋すると、

>この国の総理大臣も東京都知事も、引き続き、「核兵器の保有」を謳い、 戦争ができるように憲法を変えようとしてる人間がつとめることになった

>多数決で勝てば、人間同士が殺し合う戦争を「感動的」だと賞賛し、 「日本も優秀な戦闘機を作ってどんどん海外に輸出すればいい」なんて言ってる人でも、東京都知事を続けられる

>多数決で勝ちさえすれば、「平和」よりも「戦争」が「正しい」 ってことにもなっちゃう

>あたしたち「平和」を願う少数派は、 また4年間もガマンしなきゃなんない

 一点目からして、巷でよく聞くフレーズである。もうツッコむのも疲れるのだが、逃げ口上と取られないように、 しっかりツッコみ続けよう。

 こういう発言をしているヒトは、

1 「今の日本国憲法は、日本が戦争ができないようにしている」 から 

2 「日本は戦争をしなくて済む」

ゆえに

3 「日本は平和を保てる」

と、本気で思っているということなのだろうか。だとしたら、そう思っている人は、このブログで何度も指摘しているように (たとえばここ) 、国内レベルで「あらゆる犯罪に対する非抵抗宣言」をし、周りにいる犯罪者のなすがままにされれば良かろうに。それができないのなら、なぜそれと全く同じことを「国際」レベルでやれと平気で言えるの?

 国内レベルではあくまでも「現実主義者」、国際レベルではとことん「理想主義者」。そんな人間を「救いようのないバカ」 と言わずして何と言うべきであろうか。そんなバカが応援する人間に、政治家という仕事を任せたいとは、私は絶対に思わないのだが、 世の中は広いらしく、そうでない人も結構いるらしい。

 

 国際レベルでも、少なくとも国内レベルと同等の現実主義者になることができれば、憲法9条と国際法、そして北朝鮮のような 「ならず者国家」や中国のような「軍拡国家」という「周囲の現実」との齟齬(そご)を整理し、 自衛のための軍備の存在を正面切って議論しようとする安倍サイドや石原サイドの方が、よほど「国際平和のためになる姿勢」 であるのは自明であろう。そういう姿勢を認めた上で、日本の軍備はこれだけでいいのだ、これ以上の軍拡はするな! と主張するのなら何も不思議な点はないのだが、きっこや社民党(福島瑞穂)、共産党を始めとする「護憲パラノイア」の連中は、

・改憲→日本を「戦争ができる」国に→日本は「戦争に巻き込まれやすくなる」

という偏執的妄想にとりつかれているのかわざとしがみついているのか、ことあるごとにひたすら繰り返すことで、 「自衛のための軍備の適切な規模と形」について「そもそも議論すること」をひたすら「タブー」として封印しようとしてきたし、 今も続けている。

 軍隊や戦争について考えることは、相手や自分の痛みを想像できない、これまたある種のバカを除いては、リアルに考えれば考えるほど 「苦痛」である。だからこそ、その「苦痛」が生じないように済むための「議論」そのものをタブー化しようとするその根性。

 ただのガキ?それともやっぱりバカ?

 戦争という苦痛をいやがればいやがるほど、戦争を止めるための手段としての軍隊については、 徹底的に現実的な議論を重ねていく必要があるだろうに。国内レベルに置き換えれば、犯罪による痛ましい犠牲者を出さないように、 犯罪を抑止する制度としての警察力や法律について、徹底的に現実的な議論を重ねなければならないのと同じことだ。

 

 こんなことは、きっこと反対側にいる人々にとっては言うまでもないくらいの自明のことなのだが(だよね?)、 きっこを始めとする護憲パラノイアの連中にとっては、われわれがこういう発言を明示的にしていないことを「石原を応援する連中は、 戦争をしたがっているに違いない!」という、極めて幼児的な決めつけにスライドさせ、

戦争がイヤなら軍隊について考えるな!

的な、小学生並みのアジテーションを繰り返す。これからは、こういう種類のおバカさんには、笑顔でこうささやいてあげよう。

犯罪がイヤなら警察について考えるな!

 

 

 さて。100京歩ほどゆずって、こういう「護憲パラノイア」的な発想が正しいと、 きっことそのゆかいな仲間たちが本気で思っているのなら、その思想をなぜ

・軍拡を続けている中国

・核兵器を保持している北朝鮮

・徴兵制がまだ残っている韓国

に広めようとしないのだろう??この手の連中が信用できない点はここにもある。あたかも「世界の理想の先頭を行く」かのような 「日本国憲法的精神、特に9条的精神」の信奉者が、その精神を他国には全く広めようとしないのである。 この点についてかろうじて言及する信奉者がいるとしても、彼らは

それは他国の問題でしょ?今は日本のことを論じているのですよ。

などとしたり顔で語るのも笑える。オイオイ、日本の平和って、 日本だけが非武装になれば達成できるのかよ。本気でそう思っているのなら、しつこいが、「オレだけ犯罪無抵抗宣言」 してみろって。

 

 ここだけで随分と長くなったが、これは例の、太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』に対する内容的な批評でもある。この二人は、 時には理想主義者、時にはお笑い芸人と、自分たちに都合の良いように立場を変えながら、結局憲法九条が「日本の平和」 にどれだけ貢献できるかという「現実」面の考察をまったく行っていない。現実にどのくらい影響を与えうるかを論じずに、ある法律が「宝なのだ!!」と高らかに語っている本を、 私は初めて読んだ。これは、法律としての憲法の本ではなく、宗教としての「護憲教」信者の妄想集にすぎない。

 にもかかわらず、この本がそこそこ売れ、太田光が「政治も等身大で語れる熱い芸人」的なイメージを得て、今ではスカパーの宣伝で 「テレビに自由を」などと語っている。つくづく日本とは平和な国なのだなと、こういう現象こそが、そのことを私に最も強く感じさせてくれる。

 

 うむ。「護憲パラノイア」とは、ここまで広く日本人の一部に浸透しているのである。今後もこの点については考え続けていきたい。

 いい加減に、次の話に行こうか(苦笑)。二点目。

 

>多数決で勝てば、人間同士が殺し合う戦争を「感動的」だと賞賛し、 「日本も優秀な戦闘機を作ってどんどん海外に輸出すればいい」なんて言ってる人でも、東京都知事を続けられる

 これもありがちな発想の一つである。おそらくは石原慎太郎が総監修した映画のことを指しているのだろうが、きっこにとっては、 過去に起こったある現象としての戦争を少しでも肯定するような芸術作品を作れば、それは「戦争礼賛」につながり、ひいては 「戦争へ向かってゆく雰囲気や世論」ができやすくなり、「平和を維持しにくくなる」ということなのだろう。私は何て親切なのだろう(苦笑)。

 ここで区別しなければならないのは、「平和」と、「無抵抗状態」である。きっことその愉快な仲間たちが望んでいるのは「無抵抗状態」 であって、「平和」では決してない。なぜなら、「平和」という概念の中には、「日本を攻撃したら反撃を喰らいかねない」という 「合理的な予測」に基づく「攻撃の抑制」が含まれているからだ。

 きっことその(ry)が理想としているであろう、「武力行使という行為そのものをすべからく『絶対悪』という価値観で染め抜く」 という思想は、最終的には日本の「無抵抗状態」を招くだけであろう。例えばバカサヨクによって戦後続いてきた、 自衛隊員への陰湿ないやがらせ行為などは、この思想に基づく、「信念のある凶行(それだけに始末が悪いのであるが)」の一例であるが、 そんなことを続けていたら、日本の国土を守ろうという人間などいなくなってしまうだろう。

 そこで聞きたいのだが、自国を守ろうという人がいない国は、どのような意味で「平和」 なのだろうか。

 それは「他国が侵略してこない」という意味の「平和」などでは決してなく、「他国が侵略しても抵抗する者が誰もいない」 という意味での「無抵抗」にすぎない。そして、「無抵抗」が「レイプや略奪などを生まない『おだやかなもの』」である根拠など、 どこにもないのだ。あるのはただ「そうであってほしい」という「幼児的な希望的観測」ばかりである。

 以前腰を抜かすほどびっくりした、ykimata氏のこの記事を参考にさせて頂いた。 日本には、こういう希望的観測を抱き続けている集団があるようである。かえすがえすも、日本とは平和な国である。その平和の源が、 憲法九条にあると信じて疑わない点も含めて。

 そんなわけで、話を元に戻すと、戦争を賞賛する映画が、 戦争を賞賛しているからという理由だけで批判できると思っているのは頭が悪すぎる。少なくとも上演された映画を見てから、 その映画に即した批判をすべきであろう。ここできっこがやっていることは、ただ「戦争を賞賛する映画を叩くのはいいこと!」という、 これまた護憲パラノイアがよくやらかすことのリピートにすぎない。

 

 三点目。

>多数決で勝ちさえすれば、「平和」よりも「戦争」が「正しい」 ってことにもなっちゃう

 一点目でしっかり論を立てたおかげで、反論が楽である。きっこは、安倍総理や石原知事が「軍隊について冷静に議論する」ことを、 「戦争を無条件に肯定すること」と安易にスライドさせてご満悦なだけである。

 もう一つ、反論を付け加えるならば、

 きっこと(ry)が多数決で勝ちさえすれば、「平和」よりも「無防備」が「正しい」ってことにもなっちゃう。 少なくとも私はそんな日本になることはゴメンなのだ!なのだったらなのなのだ!

 ということになるな。この口調って…本当にバカっぽいな。

 

 ようやく、これらのまとめとしての四点目。

>あたしたち「平和」を願う少数派は、 また4年間もガマンしなきゃなんない

 きっ(ry)が願っているのは「平和」ではなく、単なる「日本が無防備なら日本の平和は守れる」という、 信じられないくらい恐ろしい希望的観測の維持である。『まるごし刑事』の読み過ぎであろう。日本が無防備ということは、 まるごし刑事がヘナヘナのもやし君状態であるということだろうに。そんなまるごし刑事は、チンピラどころか、 反抗期の小学生にさえもボコられて終わりだろうに…。

 4年間どころか、生きている間は常に警戒しなきゃなんないのはこちらの方である。選挙があるたびに、こういう「護憲パラノイア」 の台頭を阻止しなければならないのだから。

 き(ry)は、4年待てばどうにかなると思っているところも、これまた甘すぎる。

 

 憲法と九条を狂信的に守ろうとする護憲パラノイアとは、とことん戦わねば、日本の治安と平和が脅かされかねないとは… つくづく逆説的である。

 

 あ?…今日も長くなってしまった。また分けなきゃならんのかな…いやだ…。

 き(ry)のこの日の記事については、また後日ツッコミを入れる予定だ。

 

あ、これを忘れていた。エヴァファンであるきっこに謹んで。アンタカァ?? 

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2007-04-10

2007都知事選に思う(4) 浅野氏他が負けた理由

★ 投票率は前回より9ポイント以上上昇したが…55%弱

 これでは、勝った方も負けた方も煮え切らない。が、外山の言うように「選挙などでは何も変わらないのだ!」 と思っている連中は放っておくしかなかろう。ただし、政治について語っているヤツには「で、 お前は投票に行ってるのか?」とツッコみ続ける習慣を、一人でも多くの人にぜひ身につけていただきたい。 こういう風土を作り続けるしか、投票率の改善は見込めないだろう。罰金制(選挙に行かなかったヤツには罰金)にしても、 一票の意味を考える動機づけとしては極めて弱いだろうし。

 私はといえば、東京都民ではないykimata氏みかさんなどの気持ちも背負ったつもりで投票してきた。

 

祭りの「跡」

 

得票数

得票率

石原 慎太郎

2,811,486

51.1%

作家  無所属
浅野 史郎

1,693,323

30.8%

〈元〉宮城県知事 無所属
吉田 万三

629,549

11.4%

〈元〉足立区長 無所属
黒川 紀章

159,126

2.9%

建築家 諸派
ドクター・中松

85,946

1.6%

発明家 無所属
桜 金造

69,526

1.3%

タレント 無所属
内川 久美子

21,626

0.4%

風水学研究家 無所属
外山 恒一

15,059

0.3%

路上音楽家 無所属
高橋 満

5,558

0.1%

タクシー運転手 無所属
雄上 統

4,020

0.1%

作家 無所属
山口 節生

3,589

0.1%

不動産鑑定士 諸派
高島 龍峰

3,240

0.1%

易学者 無所属
佐々木 崇徳

2,845

0.1%

〈元〉大阪府警察官 無所属
鞠子 公一郎

1,373

0.0%

〈元〉野村証券社員 無所属

 

表を作り替えた…あーしんど…。 

< 総有権者数(=総票数) 10,238,704 総投票者数 5,565,127 投票率 54.35% >

 

 石原氏の得票率が50%を越えたのが意外であった。この結果は、浅野氏や吉田氏の応援サイドが「反石原勢力を糾合すれば勝てた」 という言い訳さえはじき飛ばす「圧勝」と言えよう。

 地区ごとの得票数を新聞でチェックすると、吉田氏が区長をやっていた足立区でさえ、

石原氏 142015票
浅野氏 58817票
吉田氏 47239票
黒川氏 5640票

であり、吉田氏は足立区の過半数どころか、浅野氏の票数さえ超えていない。浅野氏と吉田氏を合わせても11万票に届かず、 足立区でさえ、石原氏の得票率は過半数である。自分が区長をやっていた区でさえトップ得票を取れない人が、 本気で知事になれると思っていたのだろうか?甚だ疑問に思わざるを得ない。

 

★ 「おいしいとこ取り」を狙ったが単なる「小ずるいだだっ子」に終わった浅野氏

 では、浅野氏はできるだけ反石原票を掘り起こし、取り込めたのかという話になるが…。反石原と言えば朝日さんなので、 朝日さんの記事を謹んで引用しよう。

 

浅野戦術カラ回り 草の根貫けず迷走 都知事選(朝日さん 07.04.09)

 前宮城県知事の浅野史郎氏は選挙戦で、石原知事の2期8年を厳しく批判した。しかし結果は、「これだけの差で負けるとは、予想以上」という大差になった。

 午後8時50分、新宿区のホテルに設けられた会見場に現れた浅野氏は「初めて挑戦者として戦って、現職は強いと改めて実感した。 月並みな言い方だが、私の不徳の致すところだ」。サバサバとした表情で語った。

 「現職への批判をしたが、有権者には大きな失政とは受け止められていなかった」 と悔しさをにじませる場面もあった。

 選挙戦では五輪招致や築地市場移転への反対を打ち出したが、 「有権者が最重要課題だと見てくれなかったのだろう」。そして、「知事を代えなきゃいけないとまで感じられていなかった。 石原都政の実害を被っている人は限られており、一般化していなかった」と敗因を分析した。

 この1カ月前。浅野氏は、「実害を被っている人」からの多くの声に押されて立候補を決めた。

 「石原都政はもうたくさん、という多くの悲鳴を聞いた」。3月6日の記者会見では、こう語った。 93年の宮城県知事選の時から浅野氏を支える参謀役の田島良昭氏は「『反石原』 の受け皿として勝算は十分にある」とみた。その分析も浅野氏の背中を押した。

 「悲鳴」をすくい取るように、浅野氏は戦いを始めた。「ブレーンは都民」。寄せられた300通以上のメールのすべてに目を通した。築地市場や病院、福祉施設など現場を歩いた。 告示後の17日間で遊説は156カ所。トップダウンと言われる石原氏を意識するように、握手をしながら都民の意見を聞いて回った。 五輪招致への賛否も、都民の声を聞いて決めるつもりだった。

 しかし、明確に五輪反対を掲げる他の新顔候補と臨んだテレビ討論で、浅野氏の主張はかすむ。選挙事務所に相次ぐ「はっきりしろ」の声。浅野氏が「中止」を表明したのは、告示後の3月末だった。

 戦略上、一番重要なのが無党派層の取り込みだった。浅野氏は告示前、宮崎県の東国原英夫知事の携帯電話を鳴らした。 告示後には高知県の橋本大二郎知事にも電話した。「改革派知事に並んでもらい、 無党派層に訴えかける」。だが、いずれにも断られ、陣営の思惑は頓挫した。

 結局、駆けつけた応援弁士は民主、社民党関係者が中心。その姿に、 「浅野さんは政党色を嫌っていたのではないのか」と有権者は戸惑った。終盤に応援に立った民主党幹部は 「初めから我々が顔の見える形で支援すれば良かったんだ」といらだった。

 

>石原都政の実害を被っている人は限られており、 一般化していなかった

 これが決定打ではないかな。ちなみに、築地のある中央区でも、

石原氏 26938票
浅野氏 14487票
吉田氏 4298票
黒川氏 2103票

であり、この四者に占める石原氏の割合は56.3%である。築地で働いている人の多くが中央区民かどうか分からないが、現実として、 築地近辺の住民も、過半数が石原氏に投票したということだ(しつこいが、投票しなかったバカは除く)。ちなみに、中央区周辺の千代田区、 墨田区、江東区、港区でもほぼ同様の結果である。浅野氏と吉田氏の得票を合わせても、石原氏の得票に届かない。

 

 選挙戦を通して、多くの反石原陣営が問題にしていたのは

・身内の採用

・オリンピック問題

・築地移転問題

だが、このどれも、従来の石原都政を否定するほどの力を持ちえなかったということだ。というか、「都政」という角度から見れば、 3点目しか重要な論点にしかなり得ないと私などは思うのだが、この点でさえ、石原都知事が積極的に推進していることではなく、 その意味で明確な対立争点にはならなかった。

 だから、吉田陣営などは、ここぞとばかりに日の丸君が代の強制問題などを徹底的にブチあげれば良かっただろうにと思うのだが、結局 「オリンピックのお金を福祉に!」の一点張りだった。少なくとも、メディアを通しての印象としてはそうであった。

 

 浅野氏については、他にもツッコミどころはある。たとえば寄せられたメールがたった300通とは、少なすぎやしないだろうか。 有権者は1000万人以上いるのだから…。少なくとも、万単位のメールが浅野氏の元に届いていると、勝手ながら思っていた。 これもメディアを通してだが、いわゆる「勝手連」があれだけうじゃうじゃいたにもかかわらず、 実際にメールという形で浅野氏に要望を届けた人は、たった300人しかいなかったということである。

 また、民主党などの政党関係者が「初めから我々が支援すれば良かった」と言っていたようだが、それでは、彼が狙っていた 「無党派をとりこむ」もくろみが大きく崩れ、無党派票は見込めなかったであろう。NHKなどの出口調査によると、民主党支持者でさえその1/ 4が石原氏に投票している。以前この記事で考察したように、 宮崎県でそのまんま東氏(当時)が知事選に当選したのは、単なる「無党派フィーバー」などではなく、東氏によるずいぶん前からの準備 (昨年11月から本格的に準備を始めたのこと、本人談)と、本業だったお笑いで培った話術と、彼が小泉的手法などから学んだ 「演説での交換条件の作り方」などによるものが大きい。

 それを、ただ「改革派知事に並んでもらい、無党派層に訴えかける」という手法で、おいしいところだけ持って行こうとしても、 うまく行かないのは当然である。断った東国原氏にしても橋本氏にしても、「同じにされてたまるかorおいしい所だけ持って行かれてたまるか」 の感であったろうに。

 立候補を遅らせ、ギリギリになって立候補を決めたのも、有権者にとってはかなり悪印象であっただろう。「これだけ立候補を先延ばしにするって、自分で積極的に『都知事になりたい』わけじゃなくて、 『勝てそうなら立候補する』ってこと?そりゃ随分と有権者をバカにしてるねえ」と思ったのは私だけではないだろう。この点も、 そのまんま東氏とは全然違う。

・なんとしてでも都知事になりたい!その理由は、私にはこういう「理念」があるからだ!

・従来の石原都政とはここが違う!石原時代よりも、こういう点を良くしてみせる!

そのまんま東氏にはあって、浅野氏(あるいは他の候補者)にはなかったこの2点が、 越えられない壁として、(無党派かどうかに関係なく)潜在的な石原支持者の前に立ちはだかったということだろう。その結果として、 有権者の多くが、石原支持から動かなかったということである。

 こういう点全てを、「現職の壁は厚かった」という表現で総括する浅野氏が、賢いとも志があるとも私は全く思わない。 こんなただの日和見主義のオッサンが、なぜ慶応の教授など務まるのか、慶応とはそれほどにもバカ大学なのかと、 そちらの方が不思議でならないくらいだ。

 ま、こういうコトバで有権者をケムに負けると思っているくらいにはずる賢いということなのだろうが、甘すぎるよオッサン。

 

★ メディアにも負けたか?というより「メディアも負けた」か?

 浅野支持派から言えば、「いーや!そんなことはない!彼は明確なマニフェストを公開したじゃないか!」となるだろうが、 あのマニフェストからは、従来の都政がどのように問題だったのかという点が完全に欠落している。

浅野氏 マニフェスト 1「誰もが誇りを持てる東京へ」より

>東京都知事選挙が近づいてくると、多くの人たちから「石原都政はもうたくさん」という悲鳴にも似た声が届きはじめました。 これは、私の心を大きく揺さぶりました。社会的弱者に対する差別発言、都政の私物化、 恐怖政治のような教育現場など、石原都政がもたらした数々の問題点を聞くうちに、 この状況を変えられるのは自分しかいないと決意するに至りました。

「社会的弱者に対する差別発言、都政の私物化、恐怖政治のような教育現場」 がどれだけ「事実」であるのか、それが事実として、それが「石原都政を変えなければならないほどの大きさ」なのか、 こういう観点からの説明が完全に欠落している(それにしても、「私物化」や「恐怖政治」など、随分と感情的な言葉の使い方である)。 言うまでもないことだが、現職都知事にほんの少しのミスや至らない点があれば、それだけで現職都知事を変えるべきだ! という主張にはならないということくらいは、ほとんどの有権者は前提として頭の中にあるわけである。浅野氏は、 そういう有権者の頭の底まで見抜いて、そこをえぐるようなマニフェストを作らなければならなかっただろうに。

 この点も、宮崎県知事選挙とは全然違っていた。官製談合発覚により、現職が辞職した宮崎県では、 他の候補者より自分が優れていると有権者を説得できれば、票を得られる可能性が高かったのである。この点でも、 浅野氏は東京都をなめていたと言わざるをえまい。

 

 …と、ちまちま書いてきたが、メディアの扱いも大きかったと思う。メディアでの浅野氏の扱いは、 浅野氏の政策を根掘り葉掘り聞くというものではなく、どこに行っても「ハイハイ」と笑顔で有権者の言うことを聞く、 ポリシーのよく分からないオッサンを紹介しますという扱いであった。「私の本籍地は福祉です!」と意味不明の言葉を発し、 ただ周りの言うことをただハイハイ聞いているような人に、有権者は、国会議員よりはるかに大きな権力を持つ都知事というポストを任せると、 メディアは本気で思っていたのだろうか?だとしたら、浅野氏は、さり気ない追い風となるような、「石原を嫌っている」メディアの扱いも、 ただの「逆風」にしか働かなかったのだろうな。

 

 あ、この点も忘れてはいけない。

浅野氏 マニフェスト 2「都政運営の基本姿勢」より

>2 人と自然に優しい東京を創る
都政の手法として、強制、管理、抑圧といった側面を強調するような手法とは決別します。
社会的に弱い立場にある人たちが、生きやすい環境を創り出します。

 石原知事は、治安回復に積極的な行動を取ってきたが、浅野氏のこの発言により、「私は治安回復には積極的に動かない」 という印象を与えたのだろうな。民団(在日大韓民国民団)に支援要請した時点でかなり終わっている。今は元記事は消えてしまったが、 統一日報でさえ、日本で韓国人犯罪が激増していることを報じているのだから、民団に協力を要請するとしたら、 「東京の治安回復に協力してもらいたい」という方向での要請であろう。しかしこれは、少なくとも民団にとっては「強制」や「管理」、「抑圧」 と取られかねない要請であり、彼自身が上記のような文言でこういう手法を拒否する限り、浅野氏は、治安回復や治安維持には関心がなく、その結果、 少なくとも東京での外国人犯罪は全く減らないだろうなという結論にしか至らないのである。

 

 要するに、単に「自由」と叫べば、有権者がホイホイ寄ってくると思ったら大間違いなのである。

 

★ 要するに…

 今日も長くなったのでこのくらいにしておくが、要するに、

石原都政に大きな失点もないまま、そのまんま東現象を安易にマネしようとしたら、 きれいにはじき飛ばされた

ということであろう。

 

 あ、東国原知事が、夕方のテレ朝のニュースでこんなことを言っていた。

「東京都民が保守化しているって側面もあると思います。」

「マニフェスト選挙になっていれば絶対に浅野氏が勝ったと思います。」

うーむ。こういう発言を批判されるのが本意でなければ、東国原知事は、宮崎県政に専念し、空いた時間は少しでも休むべきであろう。

 

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TBSラジオで8:02に石原氏当確(速報)

早すぎだって…投票が午後8時までなんだから…。出口調査でそんなに差がついてたんかい…。

 NHKでは、今、8:20現在、当確は出ていない。しかし、「出口調査によると、50%以上の得票率の見込み」の報道。

 早くも、浅野陣営では _| ̄|○なムード。

 黒川氏が本気で凹んでるっぽいのがおもろい(笑)。皆のもの、NHKだ!

 (*゚・゚)ンッ?  NHKでは、当確を出す前に、各陣営の選対事務長に「石原都政3期目に何を望むか?」的なインタビューを…。しかも答える方もホイホイ答えてるし…。聞く方も答える方も順番が逆だろう…。

 色々な意味でおもろい選挙特番だ。

 

 追記 8:30 NHKでも当確が出る。

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